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2026年8月10日 ヨハネの黙示録22章

hccnichigo
8月10日
読了時間: 3分

『わたしはすぐに来る』


 ここには、この世が患難時代を過ぎ、天では子羊の婚宴が行われやがて、到達する、終点である、喜びに満ち溢れる、新天新地の様子が描かれている、もはや、のろわれるものは何もないとされ、神と子羊の御座が都の中にある。罪を代表する夜という闇もなく、神の栄光の輝きが私たちを照らしているのです。ヨハネの福音書14:3で主イエスは、こう語られました。「わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」この新天新地が、主イエスが用意された場所なのです。ハレルーヤ!


 ここには、いのちの木があって諸国の民を癒したとありますので、永遠の身体が永続する源もきっとこの命の木の実なのでしょう。14節「自分の衣を洗う者は幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられて、門を通って都に入れるようになる。」自分の衣を洗うとは、きっと罪を告白して、悔い改め、主イエスによって白い衣となった者という意味なのでしょう。しかし続く節に疑問も残ります。


 15節「犬ども、魔術を行う者、淫らなことを行う者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべての偽りを好み、また行う者は、外にとどめられる。」ということは、このような神に反逆する者も存在しているということですね。しかし、20章で、神に反逆した悪魔も偽預言者も裁かれて、火の池つまり地獄に第二の死として投げ込まれたのではなかったのか、どうして新天新地の外に、まだ背く者が残されているのだろうという疑問です。 これは、回答を得られていないので、神のみわざとして、自分の理解がもっと深まるまで、そのままにしておくことにします。やがて、神のみこころに近づけば近づくほど、なるほどそうかと理解する日が来ることでしょう。イザヤ書55章8〜9節「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。ー主のことばー 天が地より高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」まさにそうでした、今の自分には理解できませんが、どうか主の導きによって主の道が示されますように。


 私たちは、この新天新地において、主イエスと共に、神の子供として一緒に賛美し、喜びに満ち溢れることになるのです。神の栄光が隅々まで照らして、いのちの木の実を食べて癒され、私たちの目からは、涙をことごとくぬぐい取ってくださるのです。ここは賛美で満たされて、感謝に溢れる場所となることが約束されています。


祈り

主イエスが約束された通り、私たちの住む場所を新天新地で用意されてから、戻って来られます。ここに私たちの身体の救いがあり、父なる神、子羊イエスは、もう神殿の中に臨在されることはなく、私たちと一緒に、神の栄光の中に住むことになる希望が与えられていることに心から感謝いたします。アーメン

文: 森 宗孝


 
 
 

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