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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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 13章は12章の続きで、地上に落とされたサタンが聖徒たちを苦しめる様子が描かれている。 


 海から上がって来た獣とは、当時のローマ帝国の象徴だと考えられている。この獣に権威を与えたのは竜、すなわちサタンであった。この獣は7つの頭と10本の角と10の冠は支配権を持っていることを表している。又、ひょう、熊、獅子に体の一部が例えられているが、これは当時のバビロン、ペルシャ、ギリシャなどの古代の世界的国家権力を示していると言われている。竜であるサタンがこの国家権力に力を与えたのである。


 獣は致命傷から回復した後に、自分の武力を誇って傲慢なことを言っていた。彼は神に反抗して聖徒たちに戦いをいどみ、彼らに打ち勝ったのである。子羊のいのちの書に名が記されていない者はみな、彼を拝むようになったのである。しかし、彼の活動期間は四十二か月間に限定されていて、神の手の中で全てが進むことを忘れてはならないということである。聖徒たちの迫害が激しさを増したが、こんな時こそ忍耐と信仰が必要であると述べています。


 獣に服従する者たちにのみ刻印を受けさせ、刻印のない者は、買うことも売ることもできないようにしたというのである。この刻印である「六百六十六」という数字は人間、非クリスチャン、当時の残虐な皇帝ネロ、などを指しているという意見もあるそうです。ちなみに「749」はへブル語でイエスさまを表しているそうです。


 私たちクリスチャンは、キリストのものとされたという証印と、ともに歩んでくださっている聖霊の証印があるゆえに、すべての患難から守られることを忘れてはならないのです。 感謝です。


 愛する天の父なる神さま。サタンがどんなに攻撃してきても私たちクリスチャンはキリストの十字架の血潮によって勝利者であることを忘れずに歩むことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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 黙示録とは、言葉の通り「黙示文学」である。黙示文学とは、神の御心を現わすのに、直接的な表現ではなく、幻、数字、隠語、隠喩、象徴などを用いるのである。だから、それらを文字通りに受け取ることは出来ない。文字通りに、イエスの口から両刃の剣が飛び出ているわけではない事は誰でもわかるだろう。目が炎のように燃えている、足が真鍮であるわけではない。それらは、一つの意味を伝えようとしている黙示的表現なのだ。

 

 12章の解釈は難解だ。1節から6節の描写は、イエスの誕生の時のことを描いていると思われる。しかし、この前後の章は患難時代のことを描いている。イエスの誕生は約2千年前の出来事であり、患難時代はこれから起こる事である。過去と未来が入り乱れているので、解釈が混乱する。

 

 いずれにしても、サタン(竜)は、天の星(天使)の3分の一を引き連れて天から投げ落とされたようだ(4)。

 この3分の一の天使は、悪霊化して親玉であるサタンの手下として働いている。そう考えると、良い天使は悪霊の2倍の数がいることになる。そしてサタンと悪霊は、天使ミカエルと天使たちに打ち負かされたと書かれている(7)。

 そしてイエスの復活によって、サタンと悪霊は武装解除されているのだ(コロサイ2:15)。

  

 サタンと悪霊は、すでに敗北している。現在、限定的な活動が許されているが、基本的に敗北者なのだ。私たちイエス・キリストを信じる者たちは、イエスにあって勝利者だ。サタンと悪霊を恐れることはない、しかし侮ってはならない。私たちは自分の力では勝つことはできない。ただイエスの御名に勝利があるのだから。   


 天の父なる神さま

 私たちは、イエス・キリストにあって勝利者であることを感謝します。サタンと悪霊は敗北者です。私たちは誘惑に打ち勝ち、勝利者として歩み続けることが出来ますように守り導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。      

文:関真士


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『第7のラッパ』 


 黙示録を解釈するに、自分の立場は、みことばを字句通りにとらえ、理解しようとしています。例えば、四十二ヶ月と言えば、3年半と理解するのですが、それは旧暦では一年が360日だったこともあり、それは同時にこの、3節の千二百六十日に該当します。もし、地上での患難時代が7年続くと考える場合には、これは前半の3年半にあたるわけで、前半(患難時代)と後半を区分けして、後半の3年半を大患難時代と理解する考えですが、この将来起こるべき患難時代を全く異なった解釈もある事も理解しながらヨハネの幻を一緒に学びましょう。


 教会でも黙示録から7つの教会が語られています。関先生がおっしゃられるように、ヨハネの伝える幻について色々な考え方があるものの、最終的に行き着く所は、主イエスが信じる者達と一緒に住んでくださる所に向かっている事だけは、間違いないのです。


 さて、分かりやすくするために前半を患難時代、後半を大患難時代とすると、前半の3年半の間に、主が遣わされた二人の証人が特別な権威を持って、世を罰しながら預言をするのですが、この世は、主イエスやこれまでの多くの預言者を信じなかったように、ほとんどの者たちは、彼らの奇跡を見ても、この二人の預言者を信じないのです。 恐らくこの時代には、教会や本当のクリスチャンたちは携挙され、天に挙げられしまっており、残された者たちは、自己中心の世、不法の世を止める者(クリスチャンや教会)はいない状態なのではないかと推測するのです。まさに悪に満ちた、そしてサタンに牛耳られている世界になってしまったと思われます。


 この二人の証人はサタンが送ってきた獣によって殺され、この世の人々は罪を裁き、苦しめる二人が殺されたことを喜ぶのですが、神が彼らを復活されたので、今度はその驚きが、逆に恐れに襲われるのです。このようにやがてこの世には患難が下されて、神の裁きによって恐怖に包まれます。主の日とは、主の裁きが地上に下る時と同時に、主が信じるもの達に与える恵みの日でもあるのです。


 13節「そのとき、大きな地震が起こって、都の十分の一が倒れた。この地震のために七千人が死んだ。残った者たちは恐れを抱き、天の神に栄光を帰した。」


 私たち人間は、神のことばに背いたという原罪を持って生まれて来ました、偶像を礼拝することも、実は私たち自身の求める事を叶えてくれる神を作り礼拝する、つまり自分自身を礼拝する事と一緒なのです。 この都(エルサレム)の残った者は恐れを抱き、天の神に栄光をとありますが、まだ主なるイエスを神の子として理解する所までになっていません。彼らが主イエスを求める祈りをする時に主イエスがもう一度、今度は主イエスによる王国(千年王国)をこの世に造られるという事が預言されていますが、まだまだこの世は火による洗礼を受けるのです。


 地上での患難に比べて、15節からは天上のこの時の状況を表しています。これまでの間に地上で主イエスのために迫害を受けた者や聖徒たちに報いが与えられる時が来ました。私たちの主なる神は、聖書の初めから終わりまで、人間を救おうと御手を伸ばされておられます。主イエスもこの世を裁くためでなく、救いにきたとおっしゃられました。この再臨の目的も救いが目的なのです。 しかし真理であり、世の光である聖なる主が再度、来られる世には、汚れた者たち、神を第一とせず自分を第一とする者、闇を好む者たちは、一緒に主イエスと暮らすことはできません。 送られて行く先は、世を照らす光もなく、神の愛もなく、隣人愛は途絶え、暗黒の世界に迎えられる事になります。


祈り

我が主イエス、主が王となり、主の王国で私たち、僕が主と共に働く日を待ち望みます。私たちの生きた希望は、主イエスと共にいることです。どうか一人でも多くの者が主イエスを知る事ができますように。 アーメン

文:森 宗孝


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