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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『イエスの心』


 主イエスの本質の中で際立っているのは、従順ではないでしょうか。神に対する従順、神としてのあり方を捨てて、しもべの姿をとって死に至るまで父なる神に従順であった。その主を愛しており、同じ思いを持つならば 4節「それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。」とパウロはピリピ教会に、もしくは私たちクリスチャンに語るのです。どうしてもこの世にあっては、罪ある人間の集まりである教会でも、利己的な思いで、同じ信者の生き様を批判したり、陰口を言ってしまうことになりがちです。なぜなら私たちは不完全であるからです。いわば病人であって、医者である主イエスの処方と手術を待っている患者であります。その患者が集まったのが教会ではないでしょうか。


 自分の主治医を尊敬して、いわば愛することはそれほど難しいとは思いませんが、同じ同室の患者で、ぶつぶつ文句を言ったり、夜中まで起きていて騒がしい患者に対して、主治医に対してと同じ愛の心を持つことは、自分の力でできる技ではありません。 しかし、そのような私たちに対して5節「キリスト・イエスにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。」と命じているのです。イエスの心を自分の心としなさいと勧めているのです。


 ここまで、ほかの人のことも顧みなさい、愛しなさいと諭している理由のなかには、世の光となりキリストの再臨の時に、よくやったと褒められることになると言う将来の報酬だけでなく、パウロと一緒に行動して、かれが育ててきた若者、テモテをピリピの教会に送りたいことがひとつありました。かれは年が若かったようで、教会の牧会をする素質があるものの、若いからと言って、教会員から受け入れないことがないように頼んでいるのです。もうひとつはピリピ教会からローマの獄中のパウロのために、送られてきた使者エパフロディトをピリピ教会の送り戻すためでした。彼はどうやら、本来送られてきた目的である、パウロの手助けをする役割であったのに、自分自身が病気にかかって、かえって迷惑をかけてしまったようで、そのことを悩んでいたようです。しかし、パウロはいのちの危険を冒してまでローマに来てくれた彼とピリピ教会に心から感謝していたので、彼のこともよろしく頼むと言っています。


 パウロがこの手紙を書いたのは紀元61〜62年頃と言われています。学者によってはパウロは、2度にわたってローマで、囚人となったのではないかとう説の方もおられるのですが、最初の時には自宅監禁、次の時には牢獄で、最後には首をはねられて殉教したというのです。使徒の働き28章30節では、「パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えた」とありますから、この時は、監視付きの自宅監禁であっただろうと想像します、そしてそのような時にピリピ教会から手伝いが送られて来たのではないでしょうか。パウロはピレモンの手紙を書いていますが、これもオネシモという本当の奴隷が手伝いに送られてきたのですが、彼をもとの主人に戻すための手紙でもありました。


 どちらにしても、パウロ自身がイエスの心をもって、周りの人々に愛をもって接していたことが、彼の手紙の内容ににじみ出ています。いっかいの奴隷に対しても従順となって、彼の将来を心配し、手伝いにきて病気になった者が、送られてきたピリピ教会から批判されないように、気をつかうパウロは、どこまでも従順なキリストの心をもった、しもべでありました。


祈り

 どうか自分の心にも、自己中心な魂を、キリストにあって従順な心として、入れ替えて頂き、キリストの日に誇ることができますように。 アーメン 

文:森 宗孝


『生きることはキリスト』


 ピリピ書は、関先生によってのメッセージが1月から続いた場所で、皆さんにも記憶が新しいのではないかと思うので、この先生のメッセージにもある、ピリピ書が喜びの書の中で、全体は語られているので、特に1章の難しいみことばである、21節「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。」を焦点に考えてみたいと思います。


 パウロはローマの獄中から自己紹介として、ガラテヤ書では、キリストの代表という意味で、権威ある使徒パウロとしているのですが、このピリピ書の1節では、イエスのしもべ、つまりイエスの奴隷としてのパウロと自分を表していることに注目しましょう。10年前に訪ねて牧会したピリピ教会、彼らはパウロに手伝いの者(エパフロディト)を送ってくれましたことに感謝するためのピリピ教会への手紙です。しかしパウロは、この自分は、キリストのしもべ、奴隷ですとしてイエスのことを、まるで湧き上がってくる泉を抑えきれない者のように主のことを伝えたいのです。マルコ10章44~45節「あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子も、仕えられるためでなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」とイエス自身がしもべであり、神の権威を捨てて、しもべの姿で仕える者となったと話されておられます。最後の晩餐でも、弟子の足を洗うという、奴隷の仕事を自らされて、仕えることを使徒たちに、見せておられましたね。パウロはイエスのしもべなのだと自負しています。


 そして、パウロは生きることはキリスト、死ぬことは益であると言うのですが、どういう意味で言ったのか、理解するのが困難なところですが、自分が生きることは、キリストによって生きている、もしくはキリストのように生きていると考えれば、キリストの生涯は、迫害と弾劾の困難な生き方ですし、パウロもキリストとダマスコの途上で会ってからは、今までの尊敬を受け、裕福だった人生から、キリストのように困難な生き方に変えられたわけです。もちろん主イエスも、人の考える豊かさとは別の富をもっておられましたが、この世では迫害の中に生きておられましたので、ですから、自分が生きる人生は、キリストのように困難な十字架を負う生きる道だ、だから、この迫害、苦難の道から死ぬことは、自分にとっては楽になる、益になると言ったのではないでしょうか。


 こう言い切った理由は、20節抜粋「生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。」ここで訳されているあがめられるというギリシャ語は、拡大するという言葉に繋がっているそうです。ですから、自分の人生も、獄中を経ての死も、イエス・キリストが多くの人に知られる、拡大されるためであると言うのです。事実、パウロの生きている間に書き続けた手紙によって、そして彼の殉教によって、キリスト教は広がっていきました。


祈り

 これほどのパウロの人生、生きるにしても死ぬにしても、イエス・キリストのことを広め続けるための人生だと言い切ることのできるパウロさんに、感激するとともに、彼の手紙に心から感謝いたします。 アーメン 

文:森 宗孝


「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。」 11節


 「神のすべての武具」とは、腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当て、足には平和の福音の備え、これらすべての上に信仰の盾、救いのかぶとをかぶり、御霊の剣(神のことば)を取る、ことなどを言っています。そうすれば悪魔に対抗できるとパウロは言っています。


 そして、何よりもまず御霊によって祈りなさいと語っています。18節から20節までに「祈り」ということが5回もでてきます。パウロが強調していることは、他者のために祈ることだと思います。私たちクリスチャンにとって、もっとも大事なことでもあります。だれかが苦難の中にいる時に私たちが率先して行うことはまずみんなで心を一つにして主に祈ることです。マタイの福音者18章19~20節で祈りの大切が述べられています。


「あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」19節(一部抜粋)

「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」20節


 祈りは私たちクリスチャンの武器でもあります。祈りはきかれます。パウロも大胆に自分のことを祈ってほしいと言っています。私たちも人に祈ってもらうことを恥と思わずに大胆に祈ってもらうことが信仰の道へと一歩踏み出すことになると思います。


 パウロは、人間関係について述べています。前の5章では、夫婦間について述べています。そして、6章では、親子間、主人と奴隷間などについてです。親子の間の会話にはかなり難解なことがあります。私も子供の思いが理解できなくてよく衝突することが多々にあります。その時に私に示されたことは、子供の人格を尊重して、ありのままを受け入れ、親子の問題をクリスチャンの知人たちに祈ってもらうことです。



 愛する天の父なる神さま。

パウルがエペソ人に伝えようとしたことは、今の私たち教会員にもあてはまることです。どのようなときにも神の武具を身につけて、互いに忍耐をもって祈り合っていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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