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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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ホセア書 一章


 今日から旧約時代のホセア書に入る。ホセア書は小預言書と言われているが、大預言書と価値の違いがあるわけではなくて単なる量の違いだと言われている。ホセア書は、ホセアの自らの家庭生活を通して、神の裁きよりも、神の愛の深さ、また契約に対する誠実さが教えられる書と言われています。


 預言者ホセアが活躍したのはヤロブアム2世の時代からイスラエル北王国滅亡直前までの40年間、イスラエル北王国を舞台として活躍したと言われている。その時代は、イスラエル北王国が霊的に最悪の事態へと突き進んでいました。しかし、神はこのような最悪の事態にあるイスラエルへの愛は変わらず、彼らが悔い改めて立ち返ることを期待し、その神の愛が、ホセアの家庭生活の経験に重ねられて語られておられるということである。


 主がホセアに語られたはじめのことは、姦淫の女ゴメルを妻とするように命じられたのである。ホセアもいきなり神から語られたことに驚いたことだと思う。でも、ホセアは、神の命令に忠実に従ったのである。ゴメルは、身ごもって、三人の子ども達を産んだが、その三人の名前は神から名付けられた名前で、実に悲しい意味をもつ名前であった。最初の子が「イズレエル(神は種を蒔く者の意味)」、次の子どもは、女の子で「ロ・ルハマ(あわれむことはなく、赦さないという意味)」、そして、第三子の名は「ロ・アンミ」(わたしの民ではないという意味)」と名付けられた。


 このようなホセアと妻のゴメルの子ども達の名前をとおして、主が語ろうとされておられることは、神の選民であるイスラエルが、どんなに神に背を向けても、神が契約に対する誠実さを守り、愛し続けることを物語る行動預言だと解釈されています。神はご自身で名付けられた名前、ロ・アンミ、わたしの民ではないと否定されるような者でありながら、10節(一部抜粋)で「イスラエルの子らの数は、量ることも数えることもできない 海の砂のようになる。「あなたがたはわたしの民ではない」と言われたその場所で、彼らは「生ける神の子ら」と言われる。」と語られておられるのである。神の選民、イスラエルへの深い愛が示されました。


 愛する天の父なる神さま、御名をほめたたえます。今日のみことばを心から感謝します。ホセアのあなたへの忠誠心、あなたとの約束を守り通していく姿に心うたれました。そういう信仰をもつことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


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コリント人への手紙第二 13章  

 

“We Follow Christ, and Christ Alone”

 

 今日は、第二コリント13章である。パウロは、厄介なコリント教会への対応を続けている。この手紙の最後の部分では、パウロが再び教会を訪れた時、彼らが罪を悔い改めないままでいると、厳しい処置をとらなければならないと述べられている(9-10節)。

 コリント教会では、多くの人が罪を悔い改めたのだが、そうでない人も大勢いたようだ。そこでパウロは、コリント教会の中で悔い改めた二人か三人で、悔い改めない人たちに対して証しをするように求めている(1節)。

 前の12章では、この頑固で悔い改めない人々が犯し続けている罪が記されている。「争い、ねたみ、憤り、党派心、悪口、陰口、高ぶり、混乱。」(2コリント12:20-21抜粋 )。

 しかし、もっと大きな問題は、3節にあるように、ある人々がパウロの使徒としての権威に挑戦していることにある。パウロは自分の使徒職と福音を擁護し、こう宣言している。「キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対しては、神の力によってキリストとともに生きるのです。」(4節)。

 キリストに従う者は、柔和、親切、謙遜であることが知られている(2コリント10-1)。一方で、第二コリント11章に登場するいわゆる偽の使徒がいる。彼らは、異なる福音を宣べ伝え、その奉仕に対してお金を請求しているようだ(第二コリント11: 7-10)。

 残念ながら、悔い改めないコリント教会の人々の中には、彼らの間違った教えに従い続けている人がいるようだ。そこで、パウロはコリントの人々に、自分自身を吟味し、テストするように求めている(5節)。彼らは自分の中に、柔和で、親切で、へりくだったキリストを見出すことができるだろうか。

 

 キリストが私たちのうちに住んでおられ、私たちが聖霊によって変えられ続けているのだから、私たちはだんだんとキリストの特徴である柔和、親切、謙遜を帯び始めるだろう。キリストが私たちのうちに増すにつれ、私たちの古い嫌悪すべき暴力的で高慢な性質は次第に消えていく。「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(2コリント3:18 )。

 私たちがキリストに従い、キリストのくびきを負い続けるとき、私たちはキリストの姿に変えられていくのだ。しかし、これは私たちが選択することなのである。キリストのくびきを受け入れないと、私たちは破滅してしまうだろう。

 

 父なる神さま、今日の御言葉を感謝します。あなたは宇宙の創造主であり、今までにあったすべてのものの源です。人の手で造られたものには、主であるあなたを収めることができません。しかし、あなたは私たちと一緒に住むと約束されました。そして、その方法は、あなたがお造りになった私たちの体を、この地上においてあなたの神殿とすることであったことを、私たちは今知っています。

 今日のレッスンを通して、キリストが私たちのうちに本当に住んでおられるなら、私たちはキリストの特質、すなわち柔和、親切、謙遜、そしてもちろん愛を反映するようになることを思い出させてくださってありがとうございました。

 父なる神さま、どうか私たちの人生にあなたの御心が成され、私たちがあなたのお姿へと回復することができますように。

 お父さま、ありがとうございます。お父さま、私たちはお父様を愛しています。In Jesus’ Name we pray, amen.

 

Today we are reading 2 Corinthians 13, where Paul continues to deal with the troublesome Corinthian church. This final part of Paul’s letter mentions that he will be visiting them again with hopes of finding them all restored from their sin and not remaining unrepentant, lest he would have to kick them out of the church (v.9-10). Although many in the Corinthian church appeared to have repented from their sins, a large part of them had not. Therefore, Paul asks the repentant part of the Corinthians, two or three at a time, to collect evidence and bear witness against the unrepentant people (v.1). The previous chapter, 2 Corinthians 12, notes the sins that these stubborn, unrepentant people continue to commit: “quarreling, jealousy, anger, hostility, slander, gossip, conceit, and disorder. . . impurity, sexual immorality, and sensuality that they have practiced” (2 Corinthians 12:20-21 ESV). The greater issue, however, is referenced in verse 3, where some people are challenging Paul’s Apostolic authority. Paul defends his apostleship and gospel, declaring: “For he was crucified in weakness, but lives by the power of God. For we also are weak in him, but in dealing with you we will live with him by the power of God” (v.4). Christ and those that follow Him are known for their meekness, gentleness, and humility (2 Corinthians 10-1). This is unlike the so-called false Super Apostles mentioned in 2 Corinthians 11, that preach a different gospel and, unlike Paul, likely charge money for their services (2 Corinthians 11: 7-10). Unfortunately, it appears that some of the unrepentant Corinthians continue to follow their false teachings. Therefore, Paul asks the Corinthians to examine and test themselves (v.5). Do they find Christ in themselves, who is meek, gentle, and humble? 

 

Because Christ lives in us and we are continuing to be transformed by the Holy Spirit, we will gradually begin to take on His traits of meekness, gentleness, and humility. As Christ increases in us, our old spiteful, violent, and prideful nature gradually disappears. This is the truth that Paul revealed to the Corinthians in chapter 3: “And we all, with unveiled face, beholding the glory of the Lord, are being transformed into the same image from one degree of glory to another. For this comes from the Lord who is the Spirit” (2 Corinthians 3:18 ESV). As we continue to follow Christ and take His yoke upon ourselves, we become transformed into His image. But this is our choice to make. Not accepting Christ’s yoke will result in our destruction.

 

Thank You, Father, for today’s Word. You are the Creator of the Universe and the source of everything that ever was. Nothing built by man’s hands can contain You Lord. Yet You promised that You would dwell with us. And we now know that the method You accomplished this with was to have our bodies, which You created, become Your temple here on earth. Thank You for reminding us through today’s lesson that if Christ truly lives in us, we will reflect His qualities, which are meekness, gentleness, humility, and of course, love. Father, please have Your will be done in our lives so we can all be restored to become like You. Thank You, Father. We Love You, Father. In Jesus’ Name we pray, amen.

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コリント人への手紙 第二 12章


『高慢と身体のトゲ』


 福音は=Good news ですから、神のみことばを伝える事は良いニュースであり、希望を与える伝道です。みことばは真理であり、素晴らしい宝石です、宝石をあげると言われて断る人はいるでしょうか?

 しかしながら、現実に日本での伝道は、無視という形で迫害を受けます。

 例えば、うちの姉達はクリスチャンを嫌っています。一人は幼い頃にクリスチャンだった叔母に意地悪されたようで、クリスチャンは偽善者だとレッテルを貼っていますし、もう一人の姉はクリスチャンは自分達だけが正しい道を歩いていると見下すから嫌だと言うのです。この様に理由を言ってくれる者はむしろありがたいのですが、心のうちを話してくれる方々は稀で、沢山の方々は心を閉ざされています。姉の言うように、クリスチャンがへりくだる事を忘れて、福音を知っているからと言って高慢になってしまうと偽善者と見られて百害あって一利無しとなってしまう危険があるのです。

 パウロはコリント教会に心の内を伝えています。7節「その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。」

 いったいパウロのトゲとは何か、諸説ありますが多くの人々を癒したパウロは、自分の持病は治す事が出来なかった、トゲとして自分の弱さを自覚するためだとパウロは理解していたのです。主が嫌うのは高慢、喜ばれるのは謙遜ですね。クリスチャンとは、自分達が偽善者と自覚している者、主により頼む事を知っている者では無いでしょうか?


 パウロは第三の天を経験した人の話しをしますが、実は、それは彼自身の経験で、使徒の働き14章19〜20節でパウロがリステラで石打ちの刑になり、ユダヤ人たちは彼が死んだものと思い、町の外に引きずり出したとあります。 その後に弟子達は彼が起き上がってまた町に入って行くのを目撃するのですが、恐らくこの石打ちの刑の時にパウロは第三の天、主によってパラダイスに引き上げられて、人間が語る事を許されていない言葉を聞いたのではないかと言われています。まさに死から蘇った経験をしたのです。天国を見てきた者ならば、それを言いふらすのが普通ですが、IIコリント12章5節「このような人のことを私は誇ります。しかし、私自身については、弱き以外は誇りません。」と謙遜な態度を貫いているのです。9〜10節抜粋「わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」「私が弱いときにこそ、私は強いからです」これほどまでにへりくだってからコリント教会員に問いかけているのです。私があなたがたに重荷を負わせたましたか? 騙すような事をしましたか? 弟子テトスを送ったのも、すべてコリント教会信者達が成長するためなのだと心を込めて説明しているのです。


 福音をこの世に伝えるのが難しい理由は、聞く者にとって、今までの既成概念、価値観、世間を捨てなければならない。今まで信じていたものを手放さなければ主イエスに従うことが出来ないのです。ですから反発し、無視されるのです。そして福音を伝える側もへり下り、謙遜を忘れずに、自分の言葉ではなく、主のみことばのみを伝え続けるのです。しかし、聞く者の心に主を求める気持ちを起こさせるのは、我々の仕事では無く、神の領域ですから、私達は福音の種を蒔くことに心を込めようではありませんか。

祈り

 私の弱さの中に現れ、強めて下さる主イエスがいつも一緒にいて下さる事に感謝致します。どうか高慢にならないように、主の教えを喜びとし、みことばを口ずさみ者となれますように導いて下さい。感謝します アーメン

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