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2026年6月7日 エゼキエル書26章

hccnichigo
6月7日
読了時間: 2分

『エルサレムを嘲る者の滅び』


 神の都エルサレムを嘲笑する者への罪が述べられています。ツロはガラスと染め物で有名で、地中海貿易の中心のひとつであり、さまざまな品物を交易していたと言われていました。一方、エルサレムは陸路の街道筋に位置しており、北のアッシリヤやバビロンと南のエジプトを結ぶ通商上の諸点のひとつでした。ツロは、この商売上の敵であるエルサレムが破壊されるのを見て、嘲笑し喜び、高慢になりました。なぜなら、エルサレムの崩壊によってツロの商売が増大するからです。

 しかし、神はバビロンの王ネブカドネツァルによってツロを攻撃します。そして、19節から21節で、ツロは海の波の下に沈んだ町として描かれています。20節で、「穴に下った者たち」 と記されていますが、これは死の世界をツロに対する裁きを宣告されると言われています。 

  最近白内障の手術を片一方ずつやりました。人生で初めての経験で驚きもありました。術後の目に映るものすべてが色鮮やかで、まるで自分が異次元の世界にいるようでした。手術した片目を一日だけしっかり眼帯でカバーした時に、何不自由だったかというと歯ブラシの上に歯磨き粉を置くことができずに、バランスがよく取れなくて主人に頼んだことでした。これがずっと両目が見えなくなったらと思った時に、健康な両目を与えられている自分ができることは、両目が閉ざされた人への愛の手を惜しまずに支えてあげるということでした。イエス様を知らない昔の親たちは、隣近所にそういう不幸にあった人たちを、祖先が悪いからこういうことが子供に伝わっていったのだということをこぼしていたことをよく耳にしました。  今なら、聖書はそういうことではないということを確信を持って伝えたいです。


「イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」」(ヨハネの福音書9章3節)


 天の父なる神さま。今日のみことばを通して、他者の悲しみを他人事のようにとらえず自分の事として受け止めて悔い改めていくことができますように。そして、他者をいたわっていける愛のある人に変えられていくことができますように導いて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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