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2026年10月23日 ゼパニア書2章

hccnichigo
20 分前
読了時間: 3分

『神の義のさばきと普遍の愛』


「恥知らずの国民よ。こぞって集まれ、集まれ。」(2:1)


 ゼパニア書第二章の最初の3節は、イスラエルの民に悔い改めを勧めているゼパニアを通しての神のことばです。イスラエルの民は神に選ばれた民でありながら、彼らはまるで異邦人のように、自らの罪深い生活を恥じようとはしなかったので、主の祝福を受けるに値しない民、ゼパニアが呼ぶように「恥知らずの国民」になってしまいました。ですから、ゼパニアは、神の民にも異邦人と同様、神のさばきが確実に迫っていることを告げます。それでも主は、その限りない無条件の愛のゆえに、ゼパニアを通して、彼らに悔い改めるよう切に促されました。(2:2)


 私たちも知っています、私たちの主は、罪に汚れた私たちが、主を求めて信じるに至るずーっと前から、私たちの救いのために働いていてくださったことを。「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪びとであったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ 5:6~8)


 そして悔い改めるために、まず神にその心を向ける少数の者、「主の定めを行うこの国のすべてのへりくだる者」へ向けて語られます。へりくだり、主を尋ね求め、義を求め、柔和を求めながら、今の時を耐えることをすすめておられます。(2:3)私たちも、戦争、地震、病気など様々な不幸や災いに出会うとき、ああこれは神のさばきだ(日本人の場合は、ああこれは神様のバチだ)と恐れて怯えてしまうことがあります。そんな時、神の前に素直に心を開いて、これは神が私たちに何かを教えようとしていてくださるのだと、かえって感謝すべきはないでしょうか。詩篇119:7にあるとおりだと思います。「あなたの義のさばきを学ぶとき、私は直ぐな心であなたに感謝します。」


 そして4節以降は神のさばきが及ぶ国々のリストです。まずは海辺に住むペリシテ、モアブとアンモン、クシュ、そしてアッシリアです。しかし、神のメッセージを彼らに伝えたのはゼパニアが初めてではありませんでした。アモス、イザヤ、エレミヤも同じような彼らに対する神のさばきを語ってきました。それでも彼らはそれらの言葉に耳を貸そうとはしませんでした。彼らの高慢が彼らの預言をそしったのです。


 しかしそんな厳しい異邦人に対するさばきの中でも、神は彼らを脅かし、地のすべての偶像の神々を消し去り、「そのとき、人々はみな、自分のいる所で主を礼拝し、国々のすべての島々も主を礼拝する。」というゼパニアの預言で終わります。彼らもやがて心を開いて主のもとに帰るということです。


愛する天お父さま、今日のみことばを感謝します。私たちは弱いもので、つまづいてあなたの教えに反するようなことをしてしまうものです。そのようなとき、あなたの義のさばきによって私たちを鞭打ちされることもあるでしょう。しかしそれはあなたの愛の鞭であり私たちに何かを教えようとしていてくださることだということを学びました。ありがとうございました。アーメン


 
 
 

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