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2026年10月22日 ゼパニヤ書1章

hccnichigo
1 日前
読了時間: 2分

 小預言書の後半部です。ゼパニヤ書は、主の日、主のさばきが記されています。ゼパニヤはヒゼキヤ王の子孫で、宗教改革を進めたヨシヤ王の時代の預言者でした。ナホムと同じ時代に、彼は南王国の偶像崇拝の罪を指摘しました。


 主は地の面のすべてのものを断ち切ると言われています。特に、南王国ユダの主を求めない人々には厳しいさばきが下ります。その人々とは、偶像の祭司たち、天の万象を拝む者たち、ミルコム(異教の習慣)に誓いを立てる者たち、主に従わない者たち、主人の家を欺く者たちです。つまり、階級にかかわらずすべての罪人がさばかれるということです。


 さばきによって「魚の門」や「第二区」の近辺から嘆きの声が聞こえると預言されています。「魚の門」はエルサレム城壁の北側にあり、そこから北に広がる低地が「第二区」といわれる商業地でした。この「第二区」に住む人々も完全に滅ぼされ、彼らの財産も奪われてしまうと預言されています。


 神のさばきでいつも思うことは、ただ恐ろしいとしか言いようがありません。敵味方の区別がなく、また、主従関係がなく、金持ち貧乏の隔たりがないすべての罪人がさばかれるのです。罪は大小関係なく、たとえそれが小さな罪であろうと罪は罪です。神はどんな罪も決して赦されません。


 学びの中で、クリスチャンになっても罪の報酬はあるものかどうかという質問がありました。牧師は、罪の報酬と罪の買い取りの言葉によって違ってくると言われました。報酬は人間が罪の結果として受け取るペナルティです。そして、罪の買い取りはイエス・キリストがそのペナルティを代わりに支払って人間を救いだすことです。私たちクリスチャンは、主イエスの十字架によって私たちの罪の買い取りをしていただけました。二度と罪の買い取りをしていかなくてもいいことです。しかし、この地上では日々罪との戦いです。それから回避する為には、常に主に悔い改めをすることです。主は常に私たちの行いをずっとご覧になられて、私たちが主にたちかえることを待っておられます。


 主の御名を賛美します。主のさばきから愛する者たちが守られますように。一日も早く彼らが、主のみこえに聞き従って、主を受け入れることができますように私たちクリスチャンを用いて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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