top of page

2026年6月5日 エゼキエル書24章

  • hccnichigo
  • 6月5日
  • 読了時間: 2分

「主であるわたしは言った。それは必ず起こる。わたしはそれを行ってなおざりにせず、惜しまず、思い直しもしない。あなたの生き方と行いにしたがって、あなたはさばかれる。― 神である主のことば」(24:14抜粋)


この章では、エルサレムの不忠実さに対する神の差し迫った裁きが強調されています。火にかけられた鍋は、エルサレムの包囲の様を象徴しているといいます。そして主はエゼキエルの妻の死を用いて、エルサレム崩壊による民の喪失感を痛切に象徴させました。


「主であるわたしは言った。それは必ず起こる。わたしはそれを行ってなおざりにせず、惜しまず、思い直しもしない。あなたの生き方と行いにしたがって、あなたはさばかれる。― 神である主のことば」


 厳しいメッセージではありますが、そこには民が自らの罪を認め、神に立ち返るよう求める呼びかけが根底にあります。旧約聖書の神と新約聖書の神は、まるで違うお方であるかのような印象ですが、神のご性質は一貫しています。愛ある神であると同時に、その全ききよさのゆえに、罪を放っておくことは出来ないお方です。当時のユダヤ人たちは神殿で礼拝しているから大丈夫、自分たちは神の民だから大丈夫だと安心していました。しかし神はそのような形式的な信仰を「良し」とは言われないのです。


 この章から私たちが学ぶべきことは、神は私たちの心、行動、正義、そして誠実さを見ておられるということです。この章の中に書かれてあった「鍋のさび」とは、長年蓄積した小さな罪を象徴していると言います。苦い思いや嫉妬、偽り、習慣的な罪、そして愛の欠如など、見過ごしがちな小さな妥協が、放置しておくと心に深くこびりつくのです。日々悔い改めてきよめていただき、そしてやがて訪れるさばきの日に備えての伝道、特に家族や友人への伝道を促されました。


祈り:愛する天のお父さま。大切な気づきをありがとうございます。大小にかかわらず、私が犯したすべての罪をお赦しください。みことばに従う者と変えてください。そして、家族にイエスさまの愛を伝えることが出来ますよう、助けてください。主イエス・キリストの御名によって感謝してお祈りいたします。アーメン。

文:アイゾン直子


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年6月24日 エゼキエル書43章

1節に彼はエゼキエルを東向きの門に連れて行ったとありますが 彼とは主の御手のことでしょうか?神の栄光が東の方から現れた。何故、東からでしょうか?  東の門は主の栄光が戻る入り口と描かれ、神の民のうちに再び臨することを示すそうです。東の門を通る栄光は神の恵み深い取り扱いを受けた民が罪の赦しを得て神に近づく道のようです。東から現れる栄光は、その計画の完成と神の民が神と共に生きる新しい時代を象徴します。

 
 
 
2026年6月23日 エゼキエル書42章

『主の神殿』  エゼキエル書の40章から48章にかけて描かれている、細かな設計図は、これからエルサレムで再建されて行くソロモン神殿やヘロデ王による神殿のどれとも一致していないのですが、恐らく、将来の主の神殿の姿なのかもしれません。千年王国では、主イエスのもとに神殿があるでしょうから、その時の神殿ではないか、とも想像しますが、これは主の神殿の姿が描かれているのでしょう。  この42章は、特にその中の

 
 
 
2026年6月22日 エゼキエル書41章

『至聖所、本殿を測る』  私たちの世界の創造主であり、聖なる神が罪にまみれた人間の世を訪ねること、それ自身は驚くべき出来事です。私たちを愛する神は、遠いかなたの第3の天におられて、人の世界を眺めておられるだけではなく、この混沌とした、泥沼の世を尋ねて下さって、直接にみことばを語って下さるのです。ちょうど朝日に輝く白いハスの花、露をはじきかえす葉に囲まれて、この世の泥沼の中から伸びてきて花咲花ように

 
 
 

コメント


bottom of page