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2026年6月24日 エゼキエル書43章

hccnichigo
6月24日
読了時間: 2分

 1節に彼はエゼキエルを東向きの門に連れて行ったとありますが 彼とは主の御手のことでしょうか?神の栄光が東の方から現れた。何故、東からでしょうか?


 東の門は主の栄光が戻る入り口と描かれ、神の民のうちに再び臨することを示すそうです。東の門を通る栄光は神の恵み深い取り扱いを受けた民が罪の赦しを得て神に近づく道のようです。東から現れる栄光は、その計画の完成と神の民が神と共に生きる新しい時代を象徴します。


 神はイスラエルの一番高い山、シオン山と思いますが、新しい神殿を建てますが、神の民が神の指示に従って神殿を再建し、神がその中に臨されるという終わりの時の回復の計画を描きます。


 エゼキエルはどれだけ立派な入れ物でも、中味が空なら意味がないと述べ、神の栄光が神殿に満ちることで、初めて神殿が神の住まいとなることを示し信仰の中心が、神の臨在にあることを強調します。

 神殿とその中にあるもの全ては律法より決められて聖別されています。ちなみに1キュビトは 44〜45cm、17〜18インチだそうです。


祈り

天の神様

 あなたの愛に感謝します。あなたは誰一人、滅びることを望まず、一人でも神を見上げることを望んでおられます。私は神の愛から離れてしまうことが有ります。どうかお許しください。それを気づかせてください。

 イエス様の御名前を通してお祈りします。アーメン

文:カツエ カーチ


 
 
 

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