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2026年6月4日 エゼキエル書23章

  • hccnichigo
  • 6月4日
  • 読了時間: 2分

「あなたがたの淫らな行いの報いはあなたがたの上に下り、あなたがたは自分たちの偶像に対する罪責を負わなければならない。このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知る。」49節


 エゼキエル23章は、二人の姉妹をイスラエル王国とユダ王国に例えて語られています。姉のオホラを北王国イスラエル、妹のオホリバを南王国ユダに例えています。神と二人の姉妹を夫と妻の関係で現しています。彼女らが神の民とされたにもかかわらず、異邦の民を慕って姦淫をし、彼らの偶像で身を汚したことが赤裸々な表現で綴られています。ここでの姦淫とは、神以外のものに頼ることを意味しています。私たちにも言えることだと思います。神以外のものに頼ると言うことは、自分の能力、お金、地位、名声などではないでしょうか。


 そのさばきの為に、神は、一つの集団を彼らに向けて、彼女たちを石で打ち殺し、剣で切り倒し、その息子や娘たちを殺し、その家々を火で焼き払う。神の容赦しない恐ろしいさばきです。そこまでしないと人の心と目が開かれなくなってしまうということではないでしょうか。淫らな行いを取り除き、自分自身を戒め、淫らな行いをしなくなる為だと48節で語っています。


「私はこの地から淫らな行いを取り除く。すべての女たちは自分自身を戒め、あなたがたがしたような淫らな行いをしなくなる。」48節


 その罪(姦淫)のかいとりは自分自身が報いなければならないことが49節で述べられています。私もそれに似たようなことがありました。自分の蒔いた悪い種に芽が出ないように毎日、毎日刈り取っていました。しかし、今は、イエス・キリストの十字架によって悪い種をすっかり買い取ってもらえて自由になり心から感謝しています。


 ハレルヤ!主の御名をほめたたえます。どこにいても絶えずあなたのみことばに従っていくことができますように。あなただけが私の唯一の真の神であるということを見失うことがないように守って下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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