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2026年6月3日 エゼキエル書22章

  • hccnichigo
  • 6月3日
  • 読了時間: 2分

 目を覆うばかりの惨状です。イスラエルの民は、神の選ばれた宝の民であるはずなのに、ここまでの罪を犯してしまうのです。


「それで、わたしは彼らの上に激しい憤りを注ぎ、激しい怒りの火で彼らを滅ぼし尽くし、彼らの頭上に彼らの生き方を返した-神である主のことば。」(31)


 偶像礼拝、権力者による暴挙、家族崩壊、社会的弱者の虐げ、安息日を汚し、性的堕落、高利貸による抑圧、社会的不正、偽預言者…、よくぞここまで堕落しものだと思います。

 しかし、上流に毒が撒かれれば、下流すべてが汚染せれるように、いのちの源である主なる神から離れてしまうならが、その影響はすべてに及ぶということです。

 

 そしてこれらの惨状は、まさに現代社会にもあるものです。その中にあって、イエスを信じて救われるという個人の救いが、互いに愛し合うという世界を造り出し、拡大していく、それが私たちの宣教です。

 そのためにもまず、「神、第一」このことを明確に掲げて、私たち一人ひとり、そして教会も歩んでいきたいと心から願います。 


 天の父なる神さま

 真の神から離れ、背を向けて歩んでいるこの社会とそこに住む人々に対して、私たち一人ひとりが、また教会が、世の光として、地の塩をとして、その存在を現すことができますように、聖霊に満たしてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。  アーメン

文:関真士


 
 
 

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