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2026年6月25日 エゼキエル書44章

hccnichigo
6月25日
読了時間: 2分

 これまでエゼキエルが見た幻は、イスラエルの回復、神殿の再建の図面がびっしりと述べられていました。44章では、その神殿の中で行われる礼拝、また外の相続地について語られます。エゼキエルが見た幻の最後のところを読んでいます。


  主はさらにエゼキエルを、主の栄光が主の宮に満ちていた神殿の前に連れて行かれた。そして、主はそこで礼拝に関する三つのことを彼に命じられます。


 その一つ目とは、聖所で奉仕してはならない人々を指摘されます。割礼を受けていない外国人、過去に偶像礼拝の罪を犯したレビ人は神殿の奉仕はできるが、祭司として聖なる物に振れることはできませんでした。


 二つ目は、ツアドクの子孫のレビ人は祭司の任務を果たすことができる。聖所内の内庭に入るときには、亜麻布の服を着なければならない。毛織り物を身につけてはならない。その他にも髪の毛の長さ、処女をめとること、死人に近づいてはならないということを述べられました。これは、聖なるものと俗なるものとをはっきり区別せねばならないからです。


 三つ目は、祭司の相続地は主のものであるために、祭司は所有地を持ってはならないと宣言されます。彼らの食物は、民が主にささげた穀物、罪のきよめのささげ物、代償のささげ物などです。ささげた人々にも祝福があるためと、主は言われます。


 祭司の厳しい掟が述べられています。なぜなら祭司は、民の罪をとりなすために自らの聖さを維持しなければならなかったのです。それでも、祭司であろうと人間には変わりないです。彼らでも肉の罪は100パーセント取り去られることはありません。偶像崇拝、目に見えるものへの欲には勝てないことがありました。だから、神は最後の手段として、私たち罪人のために真の祭司であられる愛する御子イエス様をこの地上に遣わされたのです。神は、いつでも忍耐して待っておられる私たちの唯一の真の神であります。


 愛する天の父よ。御名をほめたたえます。あなたの私たちへの忍耐に心から感謝します。私たちは肉の人間ですからいつも罪をおかしています。でも、あなたは、私たちが悔い改めてあなたのみ前に出ていくことができるようにとりなしておられることを感謝します。私たちもまた、他者が罪をおかしたときには、共に祈りあい、支え合っていくことができるように導いてください。 感謝してイエス様の御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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