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2026年5月31日 エゼキエル書19章

  • hccnichigo
  • 5月31日
  • 読了時間: 2分

『 イスラエルの君主(エホアハズ、エホヤキム、ゼデキヤ)たちへの哀歌』


 エゼキエル19章は、エゼキエルによって書かれた哀歌である。それは、イスラエルが滅びに至る経緯を雌獅子(ユダ王国)、子獅子(エホアハズ、エホヤキム、ゼデキヤ)に例えて歌ったものです。つまり、神がイスラエルに対して神に悔い改めて、立ち帰って欲しいという願いも空しく、自ら招いた高慢の罪によって滅んでいく、エルサレムとその王たちの悲惨な末路について嘆き悲しむ詩である。


 イスラエルの国は、かつてはぶどう園のぶどうの木のようでした。水が豊かなために実りが良く、強い枝も茂って、その強い枝は王の杖となり、多くの小枝をつけて、際立って見えた。強い枝と言われているのはゼデキヤ王で、彼も際立って高い枝となりました。しかし、彼は高慢のゆえに、神の激しい憤りによって引き裂かれ、地に投げ捨てられました。エホアハズやエホヤキムもそれぞれの力を誇った為に捕囚となったのである。


 私たち人間の罪の恐ろしさを真剣に考えることが示されます。その罪のことを考える時に、信仰によらなければ決して回避できない破滅があると言うことでしょうか。私たちクリスチャンは、イエス様の十字架の血潮によって、罪の告白と悔い改めができる特権が与えられていることは感謝なことであります。そして、いつも神の御心を知ることが大切であります。


 私たちが今あるのは、すべて神様の恵のゆえであると言うことを忘れて、自分の力で成し遂げたと思うなら滅びの道は背後で待っています。高慢にならずに常に主の前にへりくだることではないでしょうか。神は、いつも私たちのことを憐れみ、慈しみ深い愛で見守ってくださっています。


 天の父なる神様。今日の御言葉を心から感謝します。いつもあなたの恵みを覚えて、へりくだっていける日々を歩むことができますように導いて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

 

 

 

 

 


 
 
 

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