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2026年7月24日 黙示録5章

hccnichigo
7月24日
読了時間: 3分

「また、私は、御座に座っておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。」(5:1)   「しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開いて封印を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。」(5:3)


 まず御座に座っておられる方(神)の右の手にある七つの封印で封じられた巻き物について考えてみましょう。ヨハネは、その巻き物を開くことができる者がどうしても見つからないので激しく泣きました。それは、この巻き物が神に属する人々への大切なメッセージを含んだ巻き物であることを理解しており、その封印が解かれない限り、そのメッセージは人々に届けられないままになってしまうからだと。


 しかし一人の天使がヨハネに、その封じられた巻き物を開く方が与えられると語ります。しかし実際現れたのは偉大な勝利者ではなく、「ほふられた小羊」でした。そしてその小羊はその巻き物を受け取ります。その瞬間、非常に多くの祭司たちと天使たち(万の幾万倍、即ち1億以上ということです)が、その小羊の前にひれ伏して新しい歌を歌い、尊敬をこめて大胆に讃美し礼拝しました。私たちの教会も、この章の中にあらわされている礼拝のように大胆に礼拝したいものです。


 キリストは偉大な方であるのに、ここでは「ほふられた子羊」として描写されいることに深いメッセージがあるようです。キリストは万能なお方で、この方を前にしては最も偉大な人間でさえも取るに足りない存在にしかありません。ところがキリストはそれを隠して、普通の人間として生まれ、十字架への道を従順に歩まれました。そしてまるで無力な子羊のように、ほふられました。この苦しみを我が身に引き受けてくださったのは、私たちは罪深い人間であるのにかかわらず、この上なく愛し、私たちの罪をぬぐい去り、救いたいという強い願いがあったからです。


 そのお方が封じられた巻き物を神の御手から受け取り、それを開くことによって、私たちもまたその内容の恵みを受けることができるようにしてくださったのです。


 その子羊には七つの角と七つの目がありました。「角」は力と権威の象徴。「七つの目」は神の七つの霊だそうです。黙示録の最初の章にも七つの霊が出ています。それは七つの教会に遣わされ、そこに臨在される神の御霊です。七つの教会がキリスト教会全体を代表していると考えるなら、それは私たちの教会をも含めた、全てのキリスト教会に臨在されている神の御霊を意味することにもなるのではないでしょうか。


 愛する天のお父さま、今日のみことばを感謝します。万能のイエス様が小羊として私たちと共にいてくださることを感謝します。それゆえに、クリスチャンとして未完成な私たちでも、あなたの寛大な愛の中、親しく交わることができますことを感謝します。主イエス様の御名によって感謝いたします。アーメン


 
 
 

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