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2026年7月27日 ヨハネの黙示録8章

hccnichigo
7月27日
読了時間: 3分

『ラッパの裁き』


 私たちの父なる神は、愛に溢れるお父さんでありますが、聖なるお方でもあります。聖なる神の義は、決して罪を見逃してあげることはせず裁かなければなりません。罪の裁きは死となってしまいます すべての人間には罪がありますので罰を与えなければならない、しかしその罪人を愛しているという、この相反する聖なる義と父なる神の深い愛がぶつかった所に主イエスの十字架が神の奥義としてあるのです。 その罪人たちを救うために御子イエスが神の子羊となって十字架での贖いをされ、信じる者を救いの道へと導いてくださった神の救いの道には信仰が伴います。それでも人間の中に住む原罪は自分を中心としてしまって、主にすがることができない者、信仰を持つことができない者が数多く残されているのが現状です。ですから終わりの日には、神に背く罪は裁かれるのです。


 天地をお造りになった神の裁きは、驚くべく地球規模でやってきます。その昔、ユダヤの民を救い出すために、エジプトには10の災いが下されました。この出来事は、ユダヤの民が拡大鏡のようになって、実に、現代の私たちの姿をも表しているのです。人間が作った神を崇拝し、自分の肉欲を追い続けてしまって、人を造った父なる神に逆らい続けた結果、聖なる裁きが、まるでエジプトに起こっと災いが、今度は何十倍も地球規模で襲ってくるのです。


 8章の初めに、天に半時間ほとの静けさがあったと書かれていますが、これはこれから地上に起ころうとする災いのスケールの大きさに、思わず息を止めて、その恐ろしさ、神の怒りの前に声が出なかったのでしょう。そうして、御使いたちは祭壇の火で満たしてから地に投げつけたとあります。


 この祭壇の下には、6章9〜10節にありますように、主イエスを信じて殉教したもの達の魂が、祭壇の下にいて、父なる神に、いつまで私たちに対して行われた暴虐の数々を見逃されるのですか、私たちの血の復讐をなさらないのですかと叫んでいるとありました。この殉教者の魂の叫びの火を満たして、地球上に投げつけられたのがラッパの裁きであります。


 本来、香炉は天の幕屋で使用される聖なる道具でありますが、ここでは殉教者たちの呪いが込められて、地上への火の裁きとして投げつけられました。地上の三分の一が焼かれたとありますから、現実的にこのようなことが起こるのは、人の手によって、罪の結果と言い換えても良いかもしれませんが、核戦争の結果かもしれませんし、天からの裁きですから、地上の恐竜が滅ぼされたように、宇宙からの大きな隕石が地球に衝突した結果の破壊かもしれません。どのようにして、この大惨事が起こるのかまでは書き記されていませんが、これが人類が向かっている地球の姿であることは間違いありません。


 それでは、私たち主イエスを信じる者は、この地球上の大惨事に備えるべきか? 自分は7章にもありますように、すべての国民から数え切れないほどの大勢の群衆が御座と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとっている、この天の群衆の中に携挙されて加わっていると信じるのです。私たちはイザヤ書を学んでいますが、そのイザヤ1章18節に「たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる」とありますように、私たちの罪はすでに赦されて、天にあげられて白い衣を身にまとっていると考えるのです。


祈り

感謝します、私たちはすでに罪赦され、白い衣を着る者として子羊の前に立つことができます。どうか私たちの目が、地上に起こる大惨事、大患難に向かわずに、天におられます子羊に向きますように、私たちの心を整えて下さい。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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