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2026年5月30日 エゼキエル書18章

hccnichigo
5月30日
読了時間: 2分

「わたしは、だれが死ぬのも喜ばない―神である主のことば―。だから立ち返って、生きよ。」(32)


 エゼキエルが活躍したころ、イスラエルの人々は「父が酸いぶどうを食べると、子どもの歯が浮く」、つまり、「父親の罪のために子供が罰を受けている」(リビングバイブル)ということばを信じていた。しかし、神様は、子は父の咎について負い目がなく、父も子の咎について負い目がないと教えて下さる。公正と義を行い、神様のすべての掟を守るなら、必ず生きると神様は仰る。たとえ悪人であっても、すべての背きから立ち返るなら、必ず生きると神様は仰って下さる。そんな神様に対して、「主の道は公正でない」という人々がいたようだ。


 放蕩息子の話を思い出した。私はかつて、この話を兄の気持ちで読んで、調子のいい弟に腹を立てた。兄が怒るのも無理はないと。


 しかし、神様は一人ひとりに生きよ!と願ってくださる方である。どんな悪人も死んでしまうことを望んでおられない。神様は人の弱さを十分にご存じだ。なぜそのような考え方になったのか、なぜそのような行動をするのか、すべて知っていて下さる。


 罪を犯さない人がいるだろうか?自分を善人と思っている兄だって、心の中で弟を裁き、妬んでいるのだから罪人だと思うのだ。罪に気が付いていない人のことも、神様は憐れみ、寄り添って下さる。すべての人を愛して下さり、神様のもとに招いてくださる。どんな人の死をも神様は喜ばれない。すべての人が生きることを、願って下さるお方である。


 そして、私たちが神様に立ち返るとき、神様は放蕩息子の父のようになりふり構わず駆け出し、喜びを体いっぱいに表現して迎えて下さる方であることを思わされました。


天のお父様 今日のみことばをありがとうございます。神様の愛の深さを思い巡らしました。その愛で私が愛され、赦され、救いに入れられていることを感謝いたします。私の思いと行いがあなたにあって、ますます変えられていきますように。まだ福音を受け入れることのできていない家族、友達の事を思います。彼らの心も開かれ、神様の愛が届きますように。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン


 
 
 

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