2026年5月18日 エゼキエル書6章
- hccnichigo
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『主が残された者』
エゼキエルは、バビロン捕囚中に送られた預言者で、旧約聖書時代の黙示録とも言えるかもしれません。そしてエゼキエルの名前の通り、神は励ますことを、滅亡と祝福と共に語っています。その目的は「わたしが主であることを知る」とエゼキエル書には70回ほど繰り返されていることが鍵言葉となっています。神に選ばれた、聖なる民族となったイスラエル民族の上には、神の道を踏み外してしまうことでの処罰を受ける事と、同時に悔い改めることによる祝福が与えられます。
申命記28章1節と15節には、この神に選ばれた民への戒めがはっきりと示されています。1節「もし、あなたが、あなたの神、主の御声に確かに聞き従い、私が今日あなたに命じるすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高く上げられる。」15節「しかし、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、私が今日あなたに命じる、主のすべての命令と掟を守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたをとらえる」イスラエルの民には、祝福か、それとものろいかの選択しか与えられていません、それは主に選ばれた民の運命なのですが、私たちも主イエスを信じて、同じように選ばれた者となっています、それはいわばイスラエル民族に接ぎ木されましたので、私たちへの掟でもあります。そしてこの掟は、律法ではなく、主イエスによっての、新しい契約、恵みの契約が私たちへの戒めとなったのです。
ヘブル人への手紙9章15節から20節に、キリストの新しい契約を説明して、これは遺言であると、この私たちが受ける恵みは、実は主イエスの遺言で、遺言は遺言を書いた人が生きているうちには、効力を持ちませんが、亡くなった時に初めて有効となること、そしてこの新しい契約(遺言)は、イエスの血潮によって成立したのですと説明があります。私たちは主イエスの遺言を与えられた者であり、その遺言を守ることによって、約束されたものを手にすることができるというわけです。
少し、話がずれましたが、この6章では、主の命令と掟を守らない者へののろいの恐ろしい描写がされています。イスラエルの民は、疫病でしに、剣によって倒れ、飢饉で死ぬ、町々は廃墟とされ、拝んでいた偶像は破壊されると預言しています。しかし、こののろい、裁きの中にも「生き残り レムナント」を神が意図的に残してくださる、それは偶然によるものではなく、神の意図的な選びによるとわざわいの中にも、わずかながらの希望を残される神の意志が描かれています。それは神に立ち返る者がいて、彼らが将来の回復の種となって、イスラエルの民を導きことになるからです。イザヤ書10章にも、残りの者が帰ってくるとありますし、ミカ書2章にも、イスラエルの残りの者を必ず呼び集めるとあることに感謝します。
祈り
私たち、日本人でキリストを信じる者となりましたが、まさにこれはほんのひと握りの残された者となりました。主イエスの遺言のおかげで、私たちにはやがて主と共に暮らす希望が与えられていることに心から感謝致します。アーメン
文:森 宗孝

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