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2026年5月16日 エゼキエル書4章

hccnichigo
5月16日
読了時間: 3分

 神様はエゼキエルに、これから起こるエルサレムの包囲と没落を、視覚を通して預言するように示された。視覚で得た情報は、時に、ことばよりも脳に強く印象付けられる。これは心理学でも広く確認されている現象だ。


 長い年月、多くの預言者の言葉を通して、また、今回は視覚を通して、神様は民に訴えかけられた。まさに八方手を尽くして、民に警告を鳴らしておられる。偶像礼拝をやめて、神様のもとに帰ってきなさいと招き続けて下さっている。


 しかしイスラエルの民は、ここまでされても変わることがなかった。以前、牧師のメッセージでも学んだ、ヤロブアムの罪と呼ばれるものから、民全体の堕落が始まった。イスラエルが南北に分かれた時、北イスラエルの王、ヤロブアムが自分の力を表すため、また、民を南のエルサレムに行かせないために、勝手に山の上に祭壇を築き、金の子牛の像を作って、民に礼拝させた。そして、レビの子孫でもない人を祭司に任命し、勝手に考え出した日を祭の日と定めて、祭壇でいけにえを捧げ、香をたいたのだ。(1列王記12章)


 神様が定めた礼拝を、自分の都合のいいようにつくり変えてしまったことに、預言者たちは偶像礼拝を指摘したが、祭壇が取り除かれることはなかった。それ以来、ユダとイスラエルは完全に分断され、南北共に堕落の道を少しずつ行くことになる。


 イスラエルが変わることがなかったのは、傲慢だったからだとよく耳にするが、一つの罪が、次の罪を生み、どんどん罪の中に溺れていくも、罪を犯し続けているので、その罪を罪と認識できなくなっていたのではないかと思わされる。


 ヤロブアムの治世以来、何人もの王がその後治めるも、この山の上の祭壇は取り壊されることなく、罪は犯され続け、北イスラエルだけでなく、南ユダにも罪の性質は浸透していった。そして、ヤロブアムの罪の後、約200年後、北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、南ユダは300年以上たって、バビロンに捕えられていくこととなる。


 こんなにも長い間、神様は民が回心することを願い、預言者を通じて語り続けて下さっていた。罪を見過ごすことで、罪に麻痺し、罪の性質が自分の中に根付いてしまう恐ろしさを思った。


天のお父様 今日のみことばを感謝いたします。私の慣れ親しんだ日常の中でも、神様を悲しませるようなことがあるのなら、どうぞそこに光を当てて下さい。罪を警戒することができるように助けて下さい。素直な心であなたと交わることができますように。正直な思いであなたと語ることができますように。日々私を整え、導いてください。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン


 
 
 

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