2026年5月15日 エゼキエル3章
- hccnichigo
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「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたは、わたしの口からことばを聞き、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。」(3:17抜粋)
エゼキエル書3章は、祭司であり預言者であるエゼキエルに対する使命とその責任とが語られていますが、その中心聖句から学んでみました。
主はエゼキエルを「人の子」と呼びかけられました。この表現は、ヘブライ語で「ベン・アダム」と記されていて「アダムの子」を意味します。これは、「人の子」とは死すべき者であり、永遠のいのちを持つ「神の子」と対比されています。
主は彼に、イスラエルの家の見張り人として彼を任命しました。見張り人とは、危険が迫った時に警告する者のことです(イザヤ21:6、エレミヤ6:17参照)。「見張り人」を意味する言葉は、ヘブライ語で「身を屈める」という動詞に由来していて、見張り台の上で、より鮮明に見渡すために身を屈める動作から来ているそうです。エゼキエルは、神の口から語られる言葉を聞き、神に代わって民に警告するよう命じられました。しかも、もし警告しないなら、その責任は見張人にあると言い渡されます。
主がエゼキエルに命じたことは、そのまま、今の時代に生きるキリスト者に与えられている使命ではないかと思いました。みことばを食したなら、それを伝える義務が私たちにはあるのです。私たちは、知っている真理を伝えずに黙ってはいないでしょうか。正しいことを知っていても、言いにくいからと黙ることがありますが、この箇所は、「愛をもって伝える責任」を教えています。
この世的には「自分の考え」が重視されがちですが、ここでは「神の言葉に忠実であること」が求められています。見張り人は、すべての人の安全のために立っています。私自身も神の見張り人として、みことば以外のものが食べられなくなるほど、みことばで満たしていただき、真理を伝える者とさせていただきたいと願います。
祈り:愛する天のお父さま。神の言葉を聞いた者には、それを伝える責任があることを再び教えてくださり、ありがとうございました。確かに、みことばを伝えることで関係が悪くなってしまうのではと恐れ、はっきりと伝えることが出来ない私です。しかし、その人たちを本当に愛しているなら、伝えるべきだと思いました。どうぞ、あなたがその時に授けてくださるみことばを恐れずに語ることができますように、導いてください。主イエス・キリストの御名によって感謝してお祈りいたします。アーメン。
文:アイゾン直子

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