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2026年5月17日 エゼキエル書5章

hccnichigo
5月17日
読了時間: 2分

「わたしの怒りが出し尽くされると、わたしは彼らに対する憤りを収めて満足する。わたしが彼らに対する憤りを終わらせたとき、彼らは、主であるわたしが、ねたみをもって語ったことを知る。」5:13


 神の怒りが出し尽くされた時に神は憤りを終わらせられたのである。怒りと憤りが全うすれば、主はそれを静められます。その静める働きをするのが、幕屋や神殿の中では、至聖所にある贖いの蓋で、大祭司がそこに血を振り掛けて、イスラエルの贖罪を行うのですが、神の怒りが満たされることを表していたと言われていたそうです。


 余談になりますが、人は自分自身の怒りを出し尽くした時、あるいは、怒りが爆発した時には憤りはいつの間にか終わってしまって気持ちが楽になったということがあるのではないだろうかと思わされます。


 神がねたみをもって語られたこととは現代の私たちへの忠告でもあると受け止められます。また、神は8節で語られていることは、私たちへのみせしめにも受け止められると思いました。


 8節(抜粋)「今、わたしはあなたを敵とし、国々の目の前で、あなたのただ中でさばきを下す。」


 神は、イスラエルの民を見捨てられるのではなく、たて直すためにご自身の怒りを出しつくされるために、飢饉や悪い獣、疫病、虐殺を持って罰せられるのである。なぜそこまでと思うが、それは、神はねたむほどに民を愛しているからです。

 神は私たちをねたむほどに愛しておられるということをしっかりと心に刻んでおきたいと思わされるところです。


 愛する天の父よ。あなたは、私たちをどんな時にも見捨てないことを信じています。なぜなら私たちをねたむほどに愛してくださっておられるから。どうぞあなたの私たちへの愛から離れることがありませんように、日々聖霊に満たされる歩みをさせて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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