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2026年4月7日 エレミヤ書30章

  • hccnichigo
  • 4月7日
  • 読了時間: 3分

『ユダの回復の約束』


 この30章の最後のことばが心に響きました。24節b「終わりの日に、あなたがたはそれを悟る」このことばに対して、例えば今のイスラエルを思いますと、とても主のみことばによって生きることから大きく外れているのが現状です。しかし批判するのは簡単ですが、身の安全が守られて、日々の糧の心配のない私たちが、イスラエルやガザやイランを評価するのは、確かにたやすいことですが、自分が彼らの身となっていた場合、自分の身と家族そして国を守るためには敵を攻めて、自分の身を守ると考えてゆくのが私たちではないでしょうか。ちょうどオリーブ山のふもとのゲツセマネの園でイエスを捉えようと兵士や祭司長たちの下役がたいまつをもって来た時に、主と自分達を守ろうとしてペテロが立ち上がって、剣で大祭司のしもべマルコスの耳を切り落としたように、自分自身が同じような状況にいた場合には、きっと戦うことになると思うのです。 果たして、その時に主により頼むということができるかと聞かれると、自信がありません。


 この30章では、まずイスラエルとユダを回復させる、その時代が来るとエレミアを通じて預言されています。これが単にバビロン捕囚からの回復だけとは思えません、やがて主イエスの十字架の後に起こった、ユダヤの民の離散のことも、そして第二次世界大戦後に集められてイスラエル国家の設立のこと、そして黙示録で語られているさらなる、イスラエルに対する戦争と主の再臨も含めて、かならず回復する時代が来ると預言されているのではないでしょうか。これから将来に起こる、回復の、その鍵は、主により頼むこと、主イエスを信じることが鍵ことばとなるのでしょう。


 11節に主のことばがはっきりと預言されています。

わたしがあなたとともにいて、ー主のことばー

あなたを救うからだ。わたしが、あなたを追いやった先の すべての国々を滅ぼし尽くすからだ。しかし、あなたを滅ぼし尽くすことはない。ただし、さばきによってあなたを懲らしめる。けっしてあなたを罰せずにおくことはない。

 厳しいみことばですが、救いのみことばでもあるわけです。


 そうして、さらに18節では、都はその丘の上に建て直され、宮殿はその定められている場所に建つ。これが実際に起こったのはバビロン70年の捕囚からユダヤの民がペルシャ王キュロスによって解放されてから、やがて、第二神殿がエルサレムに建てられたことを意味するだけでなく、おそらく、やがて来る終わりの日、主の日には、ふたたびエルサレムには第三神殿が建てられていることも預言しているのだと思うのです。さて、どうしても旧約聖書は苦手で、新約聖書だけで十分という人たちもおられます、今はイスラエルに代わって、聖霊を受けて教会が中心となっている恵みの時代なので、イスラエルの時代は終わったというのです。 しかし、聖書には必ず聖なる民、イスラエルの回復が約束されていることを忘れてはなりません。


祈り

主イエスを信じている私たちは、聖なる民に接ぎ木され、神の子供となったことに感謝致します。やがてイスラエルの民が、心を一つにして主イエスがメシアであることを祈る時に、主の再臨が起こることを知っております。主に在って、イスラエルの本当の回復がありますように。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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