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2026年4月6日 エレミヤ書29章

  • hccnichigo
  • 4月6日
  • 読了時間: 3分

『わたしに祈るなら耳を傾ける』


 この29章は、第一回バビロン捕囚の時に語られた。バビロンの地で妻を迎えて、子供達を増やしながら、その町の平安を求めなさい、捕囚はしばらくの間に継続するのですからと、民が求めている答え、エルサレムに戻るという希望に反するような指示を出しています。しかし、バビロン捕囚に関しては、年月が決められていると回復の預言も与えています。10節「まことに、主はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。」エレミアは25章でも、はっきりとバビロン捕囚は七十年と繰り返し、バビロンに引かれていった民に向かって、捕囚は必ず終わることを伝えていると共に、それに備えた生活をバビロンの地、敵の地でしなさいと促すのです。


 どうやら、北王国を滅ぼしたアッシリアは、実に残酷な方法で敵国を力で滅ぼして、徹底した破壊と捕囚で、恐怖による制圧をして、勢力を拡大していたのに比べて、このバビロンは、もっと緩やかな方法で、捕囚しても共同で住むことや、その文化を守ることを許して、実利的に占領国を管理していました。ですから、エレミアは捕囚先で、民を増やして、その地で繁栄するように、捕囚の帰還は長いが、限られているのだからと説いたのです。


 それに対して、偽預言者たちは捕囚の民に、バビロンの王ネブカドネツェルを打つとか、反逆するようにと火種をまいているので彼らを主は罰すると手紙にて伝えています。七十年といえば、一人の人の一生でありましょう。一世代はバビロンで暮らして、エルサレムを思いながらも、異国の地で一生を終えることになっているのです。この捕囚の間に、自分達の犯していた罪をはっきりと理解させるためであったのでしょうか。 偶像礼拝をし、自分達をエジプトの奴隷から救い出してくださった主を忘れ、反逆した罪を、捕囚の地で悔い改めさせられるのです。


 そうして、多くの学者は、このバビロン捕囚の時期から、ユダヤ人の会堂(シナゴグ)が誕生したと解説しています。エルサレムでの神殿から、散らされても自分達の宗教を守る、そしていけにえの儀式よりも、律法の学びを中心とするユダヤ民族特有の文化が発生したと考えられます。シナゴグは神殿に代わる礼拝の場所となってゆきます。


 会堂といえば、実に私たちがイスラエル旅行に行った四年前の時に、ガリラヤ湖畔、カペナウム近郊で考古学者によって掘り起こされた、シナゴグを訪ねたのです。 2千年前の床は石造りの構造でした。なぜここが主イエスの時代のシナゴグと判断したかというと、献金場所に、その当時使われていたお金が残っていたので、主イエスの時代と特定できたのですが、その場所に立った時に、主イエスもガリラヤの町々の会堂で語られたので、確かにここを訪ねられて、同じ空間におられたのだと身震いするほどの感動を受けたことを思い起こしました。


祈り

 主は罪をそのまま黙って赦すことはできない、聖なるお方ですが、悔い改めによって、たとえ罪が緋のように赤くても、雪のように白くしてくださるお方でもあります。

 わたしに祈るなら耳を傾けると今日も私たちに話しかけてくださっていることに感謝致します。アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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