top of page

2026年4月3日 エレミヤ26章

  • hccnichigo
  • 4月3日
  • 読了時間: 3分

「ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの治世の初めに、主から次のようなことばがあった。主はこう言われた。「主の宮の庭に立ち、主の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。彼らがそれを聞いて、それぞれの悪の道から立ち返るかもしれない。そうすればわたしは、彼らの悪い行いのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直す。彼らに言え。『主はこう言われる。もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、あなたがたの前に置いたわたしの律法に歩まず、あなたがたに早くからたびたび遣わしてきた、わたしのしもべである預言者たちのことばに聞き従わないなら、-実際、あなたがたは聞き従わなかったーわたしはこの宮をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の、ののしりの的とする。』」 (26:1‐6抜粋)


「ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの治世の初め」、当時ユダの王国では、道徳的な腐敗や偶像礼拝が盛んで、神殿さえあれば自分たちは安全だ、と民たちは考えていたようです。そのような民に対して主はエレミヤを通して語られました。


『主はこう言われる。もし、あなたがたがわたしに聞き従わず、あなたがたの前に置いたわたしの律法に歩まず、あなたがたに早くからたびたび遣わしてきた、わたしのしもべである預言者たちのことばに聞き従わないなら、-実際、あなたがたは聞き従わなかったーわたしはこの宮をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の、ののしりの的とする。』


 シロとは、モーセの後を継いだヨシュアがカナンに入った後、最初に主の幕屋を設けた場所です。しかしサムエルの時代、その幕屋にあった契約の箱はペリシテ人に奪われ、主の栄光はシロから去りました(1サム4:21‐22)。それと同じことがユダの王国にも起きる、とエレミヤが語ると人々は怒り、「あなたは必ず死ななければならない。なぜ、この宮がシロのようになり、この都がだれも住む者のいない廃墟となると、主の名によって預言したのか」と彼を訴えました。


 この場面は、キリスト・イエスに対する人々の反応を彷彿させます。エレミヤの時代、人々は神殿があるから大丈夫だと考えていました。主イエスの時代、人々は律法に従っていれば大丈夫だと考えていました。しかし、そのような形式的な信仰など神は喜んでおられないことを指摘された人々は、エレミヤをまた主イエスを殺そうとしたのです。


「あなたのそのやり方は間違っている」と指摘されたとき、それを素直に聞けるだろうか、と自問自答してみました。たぶん、反発が先に来るだろうと思います。主に従います、と宣言しながら、心は自我に従っているのです。自分にとって都合の悪い忠告を受けたとき、怒りで反応するのではなく、「主からのメッセージかもしれない」と立ち止まって考える大切さに気付かれました。


祈り:愛する天のお父さま。あなたに従って生きることが何より幸せであることを知っていながら、自我を捨てきれず、時に頑なで傲慢である私を赦してください。耳が痛くなるような忠告こそ、主よ、あなたからのメッセージであったのだと知りました。聞く耳を持たなかった私を赦し、引き続き愛してくださっていることに感謝いたします。どうか、これからは一旦立ち止まって、考えることができますよう、助けてください。主イエス・キリストの御名によって感謝してお祈りいたします。アーメン

文:アイゾン直子


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年6月26日 エゼキエル書45章

「あなたがたがその地を相続地として、くじで分けるとき、その地の聖なる区域を奉納地として主にささげなければならない。その長さは二万五千キュビト、幅は一万キュビト。その周囲の全域は聖なる地である。」(45:1)  この章を読むと、私の仕事の関係上、これから新しく未開の地域に於いて開発されていく都市計画に時々参与した時のことが思い浮かばされます。しかしその計画というのはすべて私たち人間の知識と考えに基礎

 
 
 
2026年6月25日 エゼキエル書44章

これまでエゼキエルが見た幻は、イスラエルの回復、神殿の再建の図面がびっしりと述べられていました。44章では、その神殿の中で行われる礼拝、また外の相続地について語られます。エゼキエルが見た幻の最後のところを読んでいます。 主はさらにエゼキエルを、主の栄光が主の宮に満ちていた神殿の前に連れて行かれた。そして、主はそこで礼拝に関する三つのことを彼に命じられます。  その一つ目とは、聖所で奉仕してはな

 
 
 
2026年6月24日 エゼキエル書43章

1節に彼はエゼキエルを東向きの門に連れて行ったとありますが 彼とは主の御手のことでしょうか?神の栄光が東の方から現れた。何故、東からでしょうか?  東の門は主の栄光が戻る入り口と描かれ、神の民のうちに再び臨することを示すそうです。東の門を通る栄光は神の恵み深い取り扱いを受けた民が罪の赦しを得て神に近づく道のようです。東から現れる栄光は、その計画の完成と神の民が神と共に生きる新しい時代を象徴します。

 
 
 

コメント


bottom of page