2026年4月20日 エレミヤ書43章
- hccnichigo
- 4月20日
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『エジプトに寄留してはならない』
聖書の中で、エジプトという国の意味を考えてみると、二つの側面があるようです。一つは避難する場所で、ユダヤ神を守る国であります。例えば、至る所で飢饉が発生した時に、ヤコブが家族と共に、カナンの地からエジプトに食料を求めて非難したり、もしくは、ヘロデ王が、ベツレヘムで生まれた2歳以下の男の子を殺害した時に、幼子であった主イエスを連れて、マリアとヨセフが逃げ込んだ先もエジプトでした、そして守られて、ナザレ村に戻ってきたわけです。エジプトのアレクサンドリアには、世界最大の図書館があって、多くのユダヤ人が守られて住んでいたので、ここでヘブル語聖書が共通語であるギリシャ語に翻訳されて、70人訳聖書となった経緯もありました。しかし、エジプトのもう一つは、神の民であるイスラエル民族を奴隷とした国でもあります。多神教であり、偶像礼拝と自国の軍事力を誇る罪の国という面もあるわけです。ですから、バビロンに捕囚されたが戻ってきた一部のユダヤの民が、エジプトに逃げようと考えたのは、それなりの非難の場所としてエジプトで守ってもらおうと思ったわけです。
しかし、その民に、エレミアは預言して「エジプトに寄留してはならない」と反対意見を主のことばとして告げました。エジプトではなく主をより頼みなさい、そしてたとえエジプトにユダヤ人たちが逃れた後も、安全ではなく、確かにエレミアの預言通りにバビロン王ネブダドネツェルは紀元前567年頃にエジプトを攻めて、エジプトの神殿を破壊したのです。そして、無理やりにエレミアと書記バルクをエジプトに連れていった後、エレミアたちがどうなったのかは、聖書の中には示されておりませんが、伝承ではエジプトの地で同胞のユダヤ人から石打ちの刑にあったと言われています。
ユダヤの民は、国が失われて、離散の民となり、エルサレムは荒廃し、これからてどうしたよいのかと迷った羊のように、恐れ慄いていたことがわかります。聖書の学び会でイザヤ書を学んでいますが、苦難のしもべ、主イエスを描いているイザヤ53章の6節には、「私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。」とあります。現代の私たちの姿もここに見えるようにおもいますが、この時期ユダヤの民は、とりあえずエジプトに逃れようという指導者たちの考えは、この時の民の声でもありましたが、エレミアが伝えた主のことばは、それに反して、エジプトに寄留するなという厳しい選択でした。偽預言者は、まず第一に民の声、指導者の望みを聞きますが、本物の預言者が、聞き従うのは、聖なる神の声のみです。やがてエジプトは、神が送るバビロンによって、神殿には火がつけられ、エジプトの誇る太陽神も焼かれるから安全ではない、それどころか肝心な時に、あなたの主であるわたしを頼りなさいとさとしているのが43章でした。
祈り
私たちも、苦難の中でエジプトを頼ろうと聖なる民が求めたように、主に頼るよりもまず自分達の判断でなにをすべきか決めてしまう傾向にあることを知っています。どうか主により頼むことを先決できますように、導きください。 アーメン
文:森 宗孝

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