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2026年4月27日 エレミヤ書50章

hccnichigo
4月27日
読了時間: 4分

『バビロンへの裁き』


 主が預言者エレミアを通じてバビロンへの裁きを預言しているのですが、この広大な古代都市バビロンは現代のイラク、主とのバクダットから南、およそ80kmのユーフラテス川のほとりにあって、先日TVでここの解説とバビロン遺跡が写されていたのも見たのです。驚いたことは、遺跡の周りにはアパートが建っていたりしている町なのですが、その中にぽっかりと空いた広大な野原というか、いくつもの丘がある平原といった光景でした。この50章39節「それゆえ、荒野の獣が山犬とともに住み、だちょうがそこに住む。もはや永久に、人は住まず、代々にわたって、住む者はいない。」と預言されている通りであるのに、本当にびっくりさせられました。 近くには民家だけでなく、イラクのフセインが建てた、避暑地なのか、。宮殿風の建物もあるのですが、遺跡はたしかに住む者はいない野原で山犬がいるのです。聖書にある神のことばがそのまま、実現したことに恐れと驚きを覚えました。


 聖書におけるバビロンは象徴的な意味があります、それは神に逆らう文明、高慢であり、偶像礼拝や道徳の堕落することを象徴しています。創世記11章にあります、バベルの塔は、このバビロンに築かれていた地域です。ノアの息子たちの子孫は天に届く塔を建てて、名をあげようと、あたかも神に挑戦するように塔を建てようとしたのですが、主が彼らの言語を混乱させて、互いの話しことばが通じないようにされた。バベルという原語は、ヘブル語で混ぜるとか混乱させるということと、当時のアッカド語では、神の門という言葉でもあったので、人間的には、神に到達する門を造ろうとしたのですが、神はそれを混乱の場所に変えられたということのようです。人間の高慢さと神の裁きを示しているので、聖書では、黙示録でも大バビロンとして堕落した者が裁かれることにつながっているのです。


 このエルサレムを陥落し、南ユダ王国を征服して、優秀なユダヤ人たちを連れ去ったバビロン捕囚は、イスラエルの歴史に大きな傷を残すわけですが、ユダを罰するために主が使われたバビロン帝国も、今度は紀元前539年に、メディア・ペルシャ帝国のキュロス王によって、一晩のうちに陥落するのです。そしてそれは、エレミアだけでなく、バビロン陥落の150年前のイザヤによって、キュロスの名前まで挙げられて預言されていたことでした。ここでも神のみことばは確実に実現することが確認出来るわけです。


 この50章で主は、ユダヤの民のことを、わたしの民は、迷った羊の群れであったと表現しています。ユダヤの民は、彼らの先祖の望み、希望であった主に対して、反逆の罪を犯したために裁かれると言うのですが、同時にバビロン捕囚を終えた民は、北イスラエル王国の民も南王国ユダの民もそれぞれ、泣きながら歩みつつ、主なる神を尋ね求める。そして「さあ、私たちは主に連なろう。忘れることのない永遠の契約によって」と言うと預言されているのです。17節「イスラエルは雄獅子に散らされた羊。先にはアッシリアの王がこれを食らい、今度はついに、その骨をバビロンの王ネブカドネツァルが食らった」とはっきりと預言され、であるからバビロンの王とその地を罰すると主なる神は仰られているのです。


 神に召された民、イスラエル民族は特別に主に目をかけられているだけではなく、同時にその責務を全うするように求められていて、愛のムチをもって導かれてゆきます。私たちは、主イエスを信じることによって召された民に接ぎ木されましたので、主の戒めを守ることができるように、新しい、心に刻まれた恵みの契約を守ることができるようにと、助け主である聖霊の力も与えられているのです。ですから、神の愛を受けながらも、愛のムチである苦難も導きとして受け入れることができますように


祈り

本当に神のみことばは、その通りに実現していることを理解できて感謝いたします。主の日に約束されている、私たちの魂の救いだけで終わらずに、救いの完成となる永遠の身体が与えられることを心から信じ、感謝いたします。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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