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2026年4月1日 エレミヤ書24章

hccnichigo
4月1日
読了時間: 2分

 エレミヤは、バビロン捕囚の前後、そのただ中で預言している。この24章は、すでにユダヤの民がバビロンに捕囚となって連れて行かれた時を描写している。


 その時エレミヤは幻を見せられた。 


「見よ、主の神殿の前に、二かごのいちじくが置かれていた。一つのかごにあるのは非常の良いいちじくで、初なりのいちじくの実のようであり、もう一つのかごにあるのは非常に悪いいちじくで、悪くて食べられないものであった。」(2) 


 この良いいちじくは、バビロンの捕囚になった者たちのことで、主はその者たちをバビロンの地で祝福されるというのだ。そして悪いいちじくは、捕囚を拒んでユダヤの地に残っている者たちのことで、主はその者たちに裁きを下すということが預言されている。 


 この事の意味するところは? 


 この事は、バビロン捕囚という神の裁きを認めた者と、そうでない者との違いを描いている。神の裁きを認めないということは、自分の罪を認めないということになる。それこそが本当に罪なのだ。罪を認めなければ、罪からの救いも分からない。


 この悪いいちじくは、イエスの時代のパリサイ人たちを思わせる。彼らは律法を頑なに順守していたが、彼らの問題は自分の罪を認めなかったところにある。 


 主の御前に自らの罪を認めるとき、私たちは救いを求める。その時、私たちは十字架の意味を知るのだ。受難日を目前にして、今いちど、主の十字架に想いを向けていきたい。 


天の父なる神さま

 あなたの御前で自らの罪が示されたとき、恐れることなく、隠れることなく、十字架のもとに行くことができますように。そこで自らの罪を告白して、十字架の赦しを受け取ることができますように。受難週の今、いよいよ私たちを主の十字架のもとへと導いてください。 

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:関真士


 
 
 

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