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2026年3月30日 エレミヤ書22章

hccnichigo
3月30日
読了時間: 3分

『主のことばに忠実か』


 北王国イスラエルはすでにアッシリアによる捕囚の身となってから百数十年後、南王国では宗教改革を行った良き王ヨシアはエジプトとの戦争で亡くなり、次々に主の目に悪い王たちが出てくる、彼らの運命とエルサレムが廃墟になることをエレミアは預言しているのがこの22章です。


 南王国ユダも、北王国と同様に、主のことばに忠実かどうかによって測られることが示されているのですが、預言者エレミアの語る、主のことばを聞いて悔い改めることもなく、主の契約を捨てた生き方を選んでしまいます。自分の目と心は、利得に奪われてしまい、咎なき者の血をながし、暴虐を行ってしまうのです。これは決して、南王国ユダだけの問題ではありませんね。3節「主はこう言われる。公正と正義を行い、かすめ取られている者を、虐げる者の手から救い出せ。寄留者、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりしてはならない。また、咎なき者の血をここで流してはならない。」このように、はっきりと南王国ユダに伝えたのは、このエレミアだけではありませんでした。預言者ハバククもゼパニアもオバデアも、そしてエゼキエル、ダニエルも送られてきて、次々に主のことばを語り続けたにもかかわらず、南王国ユダ王たちは、聞く耳を持っておりませんでした。自分の考えが一番と傲慢になる者、傲慢な国の運命は、北イスラエル王国、南ユダ王国のようになるという主の警告であると思います。


 ユダヤ民族は、初めは民のリーダーは祭司であり、主のみに仕えていたのですが、周りの国々のように王を立ててくれるように願ったのです。Iサムエル8章7節と17節にこう書かれています。「わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから」「あなたがた自身は王の奴隷となる」このように、もともと、主を中心にして、主に仕えることから、人間を王として王に仕えることを選んだことに、ユダヤ民族の苦しみの原因があったのです。北王国イスラエルには、主の目にかなう良き王は一人も出なかったので、初めにアッシリアによる捕囚の目に会いました。それを目にした南王国ユダにも関わらず、主のことばを守ることができなかったのです、しかし、時には何人かの良き王も出たので延命したのでしょう。しかし南王国の悪王マナセのように偶像礼拝に走り、主をないがしろにした悪王もおりましたし、最後に続いた王たちは、自分勝手は王でしたから、多くの主から送られた預言者たちのことばを聞く耳を持たなかったのです。ここに見えるユダの姿は、主が御子を送られて、福音を直接語られたにも関わらず、福音を信じることのできない私たちの社会の姿を見るのではないでしょうか。主はもう預言者を送り込まれません、それは御子であるイエス、神自身が来られたので、私たちに残された道は、信じる者となるか信じない者かの選択しか、残されていないのです。


祈り

私たちは、主イエスを見たことがありませんが、信じる者となることができたことに感謝いたします。そして、私たち自身が、今度は未だ、信じることのできない多くの親族、友人たちを導く者となりますように願っております。アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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