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2026年3月29日 エレミヤ書21章

hccnichigo
3月29日
読了時間: 2分

『いのちの道と死の道』


 とてもシビアの聖句です。二つに一つの分かれ道でしょうか。エレミヤ書21章は、ゼデキヤ王の時代に神の徹底的なさばきについて記されています。


 何度もバビロンの王ネブカドネツアルに攻められて苦しんでいる王ゼデキヤは、二人の遣い人(マルキヤの子パシュフルと、マアセヤの子、祭司ゼパニヤ)をエレミヤに遣わして助けを求めています。それについての主からの応答がエレミヤを通して5節で述べられています。


 「わたし自身が、伸ばされた手と力強い腕をもって、怒り、憤り、大いなる激怒を持って、あなたがと戦う。」さらに、6節、7節では厳しいさばきのことを述べています。「この町の人も獣も疫病で死に、生き残った者も捕囚となる」。と言っています。エルサレムの民が高慢になったために主はこの町を滅ぼされるのです。しかし、主は、エレミヤを通して、彼らに二つの選択する機会を与えてくださっています。


「あなたは、この民に言え。『主はこう言われる。見よ、わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。』」8節


 この町から出て敵のカルデヤ人に降伏する者はいのちの道を得ることができるが、しかし、この町にあえてとどまる者は死ぬということです。主はいつでも私たちに選択の余地を与えられるおかたです。その道を選ぶのは私たち個人の一人一人にかかってきます。迷わずに、神に従っていく、いのちの道を歩んでいく者になりたいですね。


 沖縄で集団自決した生き残りの姫百部隊の方が言われていました。豪の中で死を待つ多くの人々に向かって、外からアメリカ兵たちが救いの声を差し伸べていたにも関わらずにあえて死を選んだのは何だったのでしょうか。戦争は人の心を狂わせると言われたご老人の言葉が身につまされる思いでした。

 

 ハレルヤ!主の御名を心からほめたたえます。

私たちは、皆弱い人間です。集団の中にいた時に自分自身を見出せない時が多々にあります。そのような時には、聖霊様によって義なる道へと導いていただけますように、そして、いつもあなたのみこえに聞き従っていくことができますように助けて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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