top of page

2026年3月26日 エレミヤ書18章

  • hccnichigo
  • 3月26日
  • 読了時間: 2分

『陶器師と粘土』


 エレミヤ書18章は陶器師と粘土を例えてイスラエルの民への警告と神に立ち返ることが述べられています。陶器師とは神様で粘土は私たちを例えて語られています。

 ドラマで、陶器師と粘土との生きざまのドキュメンタリーを見た時の光景が浮かびます。自分の素晴らしい作品ができるのを願って、粘土を何度もこねていく姿は、まさに陶器師と粘土との戦いのように思わされました。しかし自分の作品が思うように出来上がらなかった時には、その場で思い切って割られてしまうという結果になります。


 このドラマの粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの民も主の手の中にあります。それゆえに粘土である民(私たち)は何もできません。主の声に聞き従わず、主の目に悪であることをするならすべてが取り去られるということです。しかし、主に立ち返り、すべてを主にゆだねるなら私たちを、わざわいから遠ざけて、幸せにしてくださると言われるのです。


「しかし、今、主よ、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの御手のわざです。」イザヤ書64:8


 私たちは、父なる神様のわざだと言われています。神様の御手による作品で、私たちは皆、神様にとってはかけがえのない作品であると言うことです。神のかけがえのない作品である私たちは、神に立ち返るなら壊されることがなく、私たちをキリストの似姿に変えてくださるということです。なぜなら私たちは神様の最高傑作だからと言われているからです。


 天の父なる神様。粘土である私たちは、あなたの御手の中で何もできません。主権が主なる陶器師であるということを、また、あなたによって私たちが最高傑作に作り変えてくださっていることを心から感謝します。陶器師である主にすべてをゆだねて、立ち返っていくことができますように導いて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年6月26日 エゼキエル書45章

「あなたがたがその地を相続地として、くじで分けるとき、その地の聖なる区域を奉納地として主にささげなければならない。その長さは二万五千キュビト、幅は一万キュビト。その周囲の全域は聖なる地である。」(45:1)  この章を読むと、私の仕事の関係上、これから新しく未開の地域に於いて開発されていく都市計画に時々参与した時のことが思い浮かばされます。しかしその計画というのはすべて私たち人間の知識と考えに基礎

 
 
 
2026年6月25日 エゼキエル書44章

これまでエゼキエルが見た幻は、イスラエルの回復、神殿の再建の図面がびっしりと述べられていました。44章では、その神殿の中で行われる礼拝、また外の相続地について語られます。エゼキエルが見た幻の最後のところを読んでいます。 主はさらにエゼキエルを、主の栄光が主の宮に満ちていた神殿の前に連れて行かれた。そして、主はそこで礼拝に関する三つのことを彼に命じられます。  その一つ目とは、聖所で奉仕してはな

 
 
 
2026年6月24日 エゼキエル書43章

1節に彼はエゼキエルを東向きの門に連れて行ったとありますが 彼とは主の御手のことでしょうか?神の栄光が東の方から現れた。何故、東からでしょうか?  東の門は主の栄光が戻る入り口と描かれ、神の民のうちに再び臨することを示すそうです。東の門を通る栄光は神の恵み深い取り扱いを受けた民が罪の赦しを得て神に近づく道のようです。東から現れる栄光は、その計画の完成と神の民が神と共に生きる新しい時代を象徴します。

 
 
 

コメント


bottom of page