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2026年3月16日 エレミヤ書8章

  • hccnichigo
  • 3月16日
  • 読了時間: 3分

『散らされる民』


  日本とイスラエルの歴史を比べてみて、振り返ると、両国とも様々な苦難を通ってきたことを思い起こされました。日本が国の存亡として危機に直面したのは、歴史では、1274年にモンゴル(元寇)軍の襲来、約3万人が博多に上陸した時、日本軍は苦戦するも元軍は、暴風雨や指揮官の負傷で撤退しましたが、1281年には、今度はなんと約14万の軍でやってきた時、もしもこの時に日本が征服されていたら、日本の歴史は大きく変わってしまったことでしょう。この時も台風に助けられて、日本人は神風に助けられたとしたわけです。一方、イスラエルの歴史は、日本のそれよりももっと過酷で、苦難と世界離散という患難を通ってきたことを知ります。父なる神に選ばれて、育てられた、特別な民であるイスラエル民族が、なぜこのような苦難の歴史を持っているのでしょうか。神の祝福をうけるべき民であるはずなのに、神に選ばれたこそ、子どもを訓練されるように、かたくななイスラエルの民は、愛のむちを受けるのでした。


 6〜7節抜粋「あなたは欺きのただ中に住み、欺きの中でわたしを知ることを拒む。ー主のことばー

それゆえ、万軍の主はこう言われる。「見よ、わたしは彼らを精錬して試す。」主に選ばれることは名誉であることですが、精錬されて純粋な信仰を持つように、余分なことに惑わされないようにと神の試練を受ける、特に厳しく育てられることになるのです。


 私たちも、実は主に選ばれてクリスチャンとなった者です、しかし、まだまだ頑なな心をもっているのです。ですから、主からの試練を受けるわけですが、試練の中では嘆きの声をあげ、涙をながすとしても、これは主の試練であるという忍耐が育まれることに目を向ける、主は愛のむちを下さっているのだと思える者は幸せです。


 イスラエルの民は、民族的な試練を受け続けましたが、決定的な試練は16節「彼らも先祖も知らなかった国々に彼らを散らし、剣を彼らのうしろに送り、ついに彼らを絶ち滅ぼす。」約束されていたカナンの地を失うことになってしまいます。アッシリアによる北王国の崩壊、南王国ユダはバビロン捕囚と離散の目にあいました、そうして主イエスの十字架刑のあと40年後の紀元70年には、ローマ軍によってエルサレムは陥落し、ユダヤ人はエルサレムに住むことが許されなくなってしまい、再び離散の民となってしまいます。しかし、第二次世界大戦後の迫害の後に、1948年5月14日に、現在のイスラエル国の独立を宣言したのです。 このエレミア9章は、神からの試練、愛のむちによる離散しか描かれていませんが、主は、必ず救いの手を伸ばされていることにもつながってゆきます。


祈り

なぜ、主は愛される民を離散の目にあわすのでしょうか。悔い改めをさせ、信仰の精錬するという以外にも、ユダヤの民はやがて世界中に主イエスの福音を伝える祭司となる役目がありますので、離散の民たちは、その地の文化や言葉を学ぶためにも、世界に散らされたのではないかとも思いました。すべてを益とされる主に感謝いたします。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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