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2026年3月14日 エレミヤ書6章

  • hccnichigo
  • 3月14日
  • 読了時間: 3分

「彼らはわたしの民の傷をいいかげんに癒やし、平安がないのに『平安だ、平安だ』と言っている。」(エレミヤ6:14)


 この御言葉を読んで、傷は深いのに「大丈夫」と言われること、そしてその言葉をそのまま信じてしまうことに、少し身につまされる思いがしました。それは当時の預言者たちの問題だけではないのだとも思いました。


 13節には、預言者も祭司もみな偽りを行っているとあります。人の語る言葉が、神さまの言葉のように聞こえてしまうところに怖さがあると思いました。


 私自身、自分では大丈夫だと思っているところがあります。でもその「大丈夫」は、本当に神さまから来ているのだろうかと考えてみました。「これくらいなら大丈夫」「そのうち良くなる」「まだ問題になるほどではない」など、そう思ってしまうのは、自分のものさしからなのか、あるいは世の語る声をそのまま受け入れているからなのかもしれません。神さまに確かめる前に、傷の深さをきちんと見ようとせず、自分で安心してしまっているだけなのかもしれません。本当は傷が深いのに、本当は神さまから少し離れているのに、それを見ようとせず、そのままにしてしまうことが、「偽りの平安」なのだと思いました。


 しかし神さまは、16節でこう語られます。


「道の分かれ目に立って見渡せ。いにしえからの通り道、幸いの道はどれであるかを尋ね、それに歩んで、たましいに安らぎを見出せ。」(抜粋)


 神さまはまず、立ち止まりなさいと言われます。そして見渡し、幸いの道を尋ね、その道を歩みなさいと言われます。たましいの安らぎは、何となく進んでいる先にあるのではなく、神さまに尋ね、その道に従って歩むところにあるのだと思いました。

 私ももちろんたましいの安らぎを求めますので、それが「偽りの平安」なのか、「神さまから来る安らぎ」なのか、見分ける心が必要だと感じました。


 エレミヤ書6章の終わり29節では、火を使って金属を溶かすたとえが語られます。


「吹子は激しく吹いて、鉛を火で溶かす。鉛は溶けた。溶けたが無駄だった。悪いものは除かれなった。」(29節)


 火を用いて金属を溶かしても、不純なものが取り除かれないなら、その作業はむなしいものになります。神さまはこのたとえを通して、人々の心のかたくなさを語っておられました。神さまは出来事を通して、人の心を整えようとされますが、心が変わらなければ、その働きさえも受け取らないまま終わってしまうのかもしれません。私の心もまた、取り除かれるものがあるのなら、整えていただきたいと思います。偽りの平安ではなく、神さまから来る安息へと導いていただきたいと願います。


愛する天のお父さま

 世の声ではなく、あなたの声を聞く耳を与えてください。偽りの安心にとどまるのではなく、あなたの示される道に立ち止まる勇気をください。たましいの安らぎを、あなたのうちに見いださせてください。 私の心を整え、あなたの働きを無駄にしてしまうことがないように導いてください。

 イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン


 
 
 

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