top of page

2026年2月24日 ヘブル人への手紙6章

hccnichigo
2月24日
読了時間: 3分

『私たちの希望』


 ここで、主イエスの種まきのたとえ話を思い出しました。マタイ13章19〜23節を短縮すると、御国のことばを聞いて悟らないと、道端に撒かれた種のように、悪い者が奪います、また岩地に蒔かれた種は、みことばをすぐに喜んで受け入れた人ですが、その人の中に根がなく、困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。茨の中に蒔かれたとは、みことばを聞くが、この世の思いの誘惑で、みことばをふさいで、実を結ばない人のこと、しかし良い地に蒔かれたものは、百倍もの実を結ぶという、主イエスの例え話です。このヘブル6章7~8節「たびたび降り注ぐ雨を吸い込んで、耕す人たちに有用な作物を生じる土地は、神の祝福にあずかりますが、茨やあざみを生えさせる土地は無用で、やがてのろわれ、最期は焼かれてしまうのです。」神の祝福を受ける良い土地と、世の誘惑や苦難によるつまずきの茨の土地は、主の日に焼かれて裁かれてしまう。私たちは、はたして、主イエスの示された中の、どのような土地なのかと考えさせられてしまいます。


 さて、この前の5章で、大祭司メルキゼデクは主イエスと並べられて語られましたが、大きな違いもあります、それは大祭司である主イエス自らが、神の子羊となって、私たちのために血を流されたことでした。ですから、主のみ教えである、復活や永遠の裁きをしっかりと心に刻みましょう、すでに神の御子自身から、みことばと来るべき世の力を教えられて、味わったにもかかわらず、心の中に根がなかったり、この世の誘惑に負けてしまったりする堕落者は、神の子イエスをもう一度十字架にかけて、さらしものいにする者として、裁かれてしまいますとも警告しているのです。十字架を信じる、確信を持ち続ける者と信じられない者の対比があります。


 確かに、ヘブル書は、なかなか手強い書です、特にユダヤ教や旧約聖書の知識が足りない私たち異邦人にとっては、理解するのに苦労します。聖書の基盤となっているのは、神との契約という概念です、そして神はアブラハムに無条件契約である恵みの契約、アブラハム契約を授けたのです。アブラハムは国々の父となり、子孫は星の数ほど増えるという神の約束、これは、この契約を受けるアブラハムが、条件を満たさなければ、契約を破棄するという性質のものではなく、無条件で与えられました。神自身が、ご自分の何かけて誓い、そしてことばにして保証されたのです。そしてアブラハム契約のように、主イエスは、十字架によって、私たちに愛の契約、恵みの契約を下さり、その中には主イエスが復活されたように、私たちも、やがては永遠のからだをいただき、主と共に住むという保証をされました。これが天にあります私たちの希望であって、たましいの錨のようなものと表現されています。


祈り

私たちには、魂の錨となる、消え去ることのない希望が与えられています。どうか人生の嵐に会ってもしっかりと錨をおろし忍び耐え、たとえ欲望の誘惑によって進む方角を間違いませんように、主の十字架を確信をもって信じる者となれますように。 アーメン 

文: 森 宗孝


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年10月14日 マタイの福音書27章

マタイの福音書27章の1節の始まりは、祭司長達と民の長老達全てが イエス様を死刑にする相談する場面から始まります。正にイエス様の苦難の道がこれから始まることを暗示していると思います。私達もそう感じることが出来るのではないでしょうか。とうとうイエス様は縛られて、彼らに捕らわれてしまいます。それは銀貨30枚を受け取ったユダの裏切りから始まったのです。ユダは自分がイエス様を罪に定めた事を知り、後悔して銀

 
 
 
2026年10月12日 マタイの福音書25章

『羊とやぎ』  天の御国を主が、またもたとえ話で説明をされている箇所です。最初にでてきます十人の娘たち、五人は油を切らしてしまって、さいごには婚礼の宴、天の御国に入れない。次に良いしもべ、自分に渡されたタレントを増やす、自分の賜物をよく使ったしもべと、地の中に隠して賜物を使わなかった悪いしもべのたとえ話ですが、要点は、どちらも両方とも主を慕う者たちを表していると思うのです。油、つまり聖霊を切らして

 
 
 

コメント


bottom of page