2026年2月21日 へブル人への手紙3章
- hccnichigo
- 23 時間前
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「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。荒野での試みの日に神に逆らったときのように。」
荒野での試みの時、イスラエルの民は自分たちの不足から早く解放されたくて、自分たちの目に正しいと思われることをした。神様のご計画や約束、神様の時に信頼し続けることができなかった。もと来た道を戻ろうとしたり、金の子牛を作ってそれを拝もうとしたり、心を定めて神様に全き信頼を置くことがなかった。そのため、心に神様の平安がなかった。
困難や苦しみの中に置かれ、先が見えないとき、自分の時と方法を脇に置いて、信仰に留まり続けることは簡単ではない。神様に従って来たら、事はなんでもスムーズに進むといえば、そうではない。それでも、希望による誇りを持ち続けなさいと励まして下さる。それも「今日」と仰る。調子が良かったらでもなく、苦しみがあるからでもなく、明日でもなく、「今日、御声を聞くなら」と仰る。
私には小さい孫がいるが、幼児ゆえに、母親への信頼は絶対なるものだ。欲しいものがあれば母親に訴える、泣きたいときは母の胸に飛び込む。祖父母である私たちも一緒に楽しく遊んだり、おもちゃをあげて喜ばすことはできるが、母親の代わりにはなれない。幼児は完全に両親、特に母親に依存して生活しているのだ。幼児ゆえに無力ということもあるが、愛され、守られていることを感じているから安心して依存しているのだと思う。私もこんな純粋な気持ちで、神様だけに全き信頼を置いていきたいと思わされた。
愛する天のお父様、今日のみことばを感謝いたします。心を踊らせるような出来事がある時だけでなく、苦しい時だけでなく、この、いつもの生活の中にあなたの恵みと守りが溢れていることを思います。それでも、私が気づいているのは、ほんの一部であることを思います。主の愛に包まれ、主への感謝と信頼を強めていきたいと願います。どんな時にも、変わらない主の御手が共にあることを覚え、幼児のように主の安息の中を過ごすことができますように。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン

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