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2026年2月23日 ヘブル人への手紙5章

  • hccnichigo
  • 2月23日
  • 読了時間: 2分

『大祭司メルキゼデク』


 創世記14章18節に、アブラハムが自分の親類が捕虜になったので、奪い返す場面が描かれていて、そのアブラハムをサレム(エルサレム)​​​​の王であり祭司のメルキゼデク(メルキ=義のツェデク=王)がパンとぶどう酒を持って祝福した。まるで主イエスの聖餐式のようにとありますので、彼は主イエスを予表していたとされています。 しかも、アブラハムは、ここで十分の一を捧げて、私たちの什一献金を思い起こすわけであります。確かに、主イエスも平和=シャロームの君であり、義の王でもあります。


 ヘブル書は著者不明ですが、書き送っている相手は、あきらかにヘブル人、イスラエルの民に向かって語りかけています、冒頭の1章1節に「多くの方法で先祖たちに語られましたが」とある先祖とは、ヘブル人へ向かってのことばです。そして恐らく、イスラエルの民は、祭司という職は、必ずアロンの家系であるレビ族からという固定観念を持っていましたので、なぜ祭司とも呼ばれる、ナザレのイエスがレビ族ではなく、ユダ族の家系の出身であるから、レビ族出身でなければならないはずの祭司ではないと考えていたユダヤ人もいたのでしょう。そのような家系を気にするヘブル人に対して、アブラハムの兄弟のアロンが、自分の選びで大祭司となったわけではないように、イエス・キリストも神に選ばれた祭司なのだという論理を展開するわけです。しかも、アブラハムを祝福した、エルサレムの王で祭司であった、家系やその歴史も謎である、メルキゼデクのように、もしくはイエスは、アブラハムの時代に、このメルキゼデクであったと言わんとしていると思うのです。


 しかし、聴衆であるユダヤ人に対して、あなたがたは未だ、霊的に成長していない乳児なので、まだまだ、このような真理を受け入れるだけに成長していないとヘブル人を、乳飲子として、もっと霊的に成長しなさいとうながしているのです。私たちも考えてみますと、よほど旧約聖書を読み込みませんと、このメルキぜデクと主イエスが関連しているなどとは想像もつかないわけで、乳飲子のようであるわけで、霊的にこれから成長してゆかなければ真理に近づくことが難しいわけですね


祈り

確かに、私たちも霊的に幼子であり、霊的に眼がやっと開けられたような状況であります。どうか聖書のみことばを糧として、食べて成長し、もっと固いみことばを理解できるようになりますように、導きください。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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