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2026年2月20日 へブル人への手紙2章

hccnichigo
2月20日
読了時間: 3分

「イエスは死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠を受けられました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。多くの子たちを栄光に導くために、彼らの救いの創始者を多くの苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の存在の目的であり、また原因でもある神に、ふさわしいことであったのです。聖とする方も、聖とされる者たちも、みな一人の方から出ています。それゆえ、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥とせずに、こう言われます。「わたしは、あなたの御名を兄弟たちに語り告げ、会衆の中であなたを賛美しよう。」また、「わたしはこの方に信頼を置く」と言い、さらに、「見よ。わたしと、神がわたしに下さった子たち」と言われます。そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。当然ながら、イエスは御使いたちを助け出すのではなく、アブラハムの子孫を助け出してくださるのです。したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。」(9‐18抜粋) 


 ヘブル2章は、真の人となられた主イエスが、私たちの限界や苦しみを知り、寄り添ってくださる大祭司であることを強調しています。 当時キリスト者となっユダヤ人たちは、迫害という苦しみの中にいました。当時の迫害とは、会堂(シナゴーグ)からの追放、 「裏切り者」「異端者」というレッテル、町や共同体での信用喪失、商売相手の喪失、組合からの排除、財産没収や住居の喪失、親族からの拒絶、相続権利のはく奪、家庭内での分断、逮捕や拘留、正式裁判なしの投獄などだったそうです。 つまりキリスト者は、日本社会でいう「村八分」にされたわけです。しかしキリストは、それらの苦しみに、まさる苦しみを経験されました。天使よりはるかに優れたお方である主イエスは、自らを低くされ、死と苦しみに支配されている人たちを解放するため、想像を絶する苦しみと死を経験されました。それは、人々を神の栄光へと導くための苦しみでした。主イエスはこの十字架での苦しみを通して、この世で経験する苦しみは無意味ではないこと、、また死は最終的な支配者ではないことを示してくださったのです。 


 私たちは、この主の苦しみを通して、救いに与る一人ひとりです。改めて、その測り知れない主の愛に感謝と賛美をささげたいと思います。 


祈り:愛する天のお父さま。私は苦しみを避けたいと願う者ですが、主はその苦しみを通して私を完成へと導いてくださることを信じます。主が通られた道を、私も共に歩んでいることを覚えさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:アイゾン直子 


 
 
 

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