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2026年2月18日 ピレモンへの手紙

hccnichigo
2月18日
読了時間: 2分

 おそらくコロサイ地方にいたであろうピレモンへの手紙です。パウロがこの手紙を書いた時は、すでに老人であり、獄中にあり、その中でオネシモに関する願いが記されています。

「このとおり年老いて、今またキリスト・イエスの囚人となっているパウロが、獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。」(9,10)


 オネシモは、奴隷でした。当時は奴隷制度があったわけです。しかしパウロは次のようにオネシモについて述べています。

「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。特に私にとって愛する兄弟なのです。」(16)


 パウロは、この手紙において奴隷制度の是非については言及していません。しかし、パウロはオネシモのことを「愛する兄弟」と呼びます。キリストにあって兄弟同士になるとき、そこには奴隷と自由人という区別、差別は存在し得なくなるのです。

 

 この手紙が、奴隷解放運動の神学的基礎となりました。しかし、ある人たちは「奴隷制度を否定していないのだから、聖書は奴隷制度を支持している」と御言葉を曲解しました。

 しかし、聖書が述べることは、キリストにあって愛する兄弟同士になったら、そこには奴隷制度は成立しなくなるということなのです。現に米国においてリンカーン大統領によって奴隷解放宣言が出された後も、人々の心に中には依然として奴隷制度は存在しました。制度が変わっても、人々の心が変わらなければ、差別はなくらないのです。

 制度を変えることも大事ですが、それ以上に大事なことは、人々の心が変えられることなのです。

 

 現在、米国にも日本にも奴隷制度はありません。しかし人々の心には、依然として差別の心が存在しています。そんな私たちが、キリストのもとで一つにされるのです。人の外見、肌の色、出自、血筋、家柄…等々、それらによって人間の優劣をつけてはならないのです。その根拠はただ一つ、神がそれぞれの人を造られたということです。そしてそれぞれが一人の例外なく、神のかたちに造られた、神の最高傑作品であるということです。


  天の父なる神さま

 私たちの心の中にある、他者を差別するような、見下すような心がありましら、どうかイエスさまの十字架の血によって清めてください。私たちが、すべての違いを乗り越えて、キリストにあって一つとなることができますように。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:関真士


 
 
 

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