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2026年2月17日 テトスへの手紙3章

  • hccnichigo
  • 2月17日
  • 読了時間: 3分

『聖霊による救い』


 このテトスへの牧会書簡の歴史的背景を思うに、これがいつ、どのような状況でパウロが書いたのかについては、色々な解釈があるようです。パウロのローマでの投獄は、おそらく2段階あったようです。1段階目は、第3次伝道旅行の最後に、エルサレムからカイザリアそしてローマ兵の護衛と共に、船の難破を経験し、苦難の中でローマに到着、そしてしばらく(恐らく2年ほど)は、自宅監禁のような状態であったことまでは、聖書の記述によって分かっています。それから、今後は牢獄に向かい獄中書簡を書いた後に、処刑されたのか、それとも一旦は釈放されたが、伝道旅行後に、また逮捕され処刑されたのかどうかまでははっきりしておりません。


 この1回目のローマでの幽閉から、一旦は解放されて、今度は念願の第4次伝道旅行に出て、紀元62〜64頃に3章にあるように、ニコポリス(イタリア半島のアドリアナ海東岸、ギリシャ側)にいたとパウロは語っているので、これが第3次伝道旅行中だったのか、それとも聖書には描かれていませんが、一旦ローマから釈放された後に続けた伝道の途中だったのかが、論争というわけです。パウロがこの時に、スペイン伝道したとされる伝承も、この4次伝道として考えられるわけです。どちらにしても、パウロの並並ならぬ伝道への熱意が伝わってきます。


 しかし、この3章の主眼は「聖霊による救い」を経験しているかどうかを牧会する中で、注意しなさいという点にあるようです。信仰とは、信じて仰ぎ見るという字の通りです。私たちには、知能が与えられているし、信仰の能力も与えられていて、知能は、この世のすべての物、被造物を分析し、理解する能力ですが、信仰は眼に見える世界ではなく、天にあるものを理解する能力であり、これは助け主である、聖霊によって眼が開かれる、この世にある聖書を知能によって理解しながら、心の眼が開かれて天のことを信じることができるようになるわけです。これが3章5節にある「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。」 私たちの努力、奉仕では救われませんが、助け主である聖霊をもって、新しく魂が生まれ変わるという経験を通じて、贖いの十字架の主を信じることによって罪から救い出してくださったということではないかと思います。


 パウロには同労者たちがおりました。アルテマス、ティキコ、律法学者のゼナス、雄弁なアポロ、そしてテトスもその一人でした。ちょうど私たちも教会の神の家族がおりますように、パウロも信仰の仲間に囲まれていたことが幸いでした。


祈り

どうか聖霊による再生によって、私たち自身も、愚かな議論、争い、むなしい論争でゆがんでしまわないように、聖霊の実を結ぶ者となりますように、信仰を同じくし、愛によっての強い帯となりますようにアーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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