2026年2月16日 テトスへの手紙2章
- hccnichigo
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『健全な教え』
パウロは、信仰によるわが子とテトスを呼んで、若輩のテトスに牧会するための、重要な事柄を愛を込めて指導をしているわけですが、パウロの頭には常に牧会する基本におは、2輪の車輪のように、一方は聖書知識を備え、もう一方はその知識に基づく行動を両輪として行動することを目指しておりました。
この聖書知識とは、頭の中に記憶する知識ではなくて、主イエスを救い主、メシアとして信じる信仰、そして私たちのために、天に蓄えられた希望、主のすべての人に対する愛を聖書を通じて学ぶ知識のことでした。そしてそれを健全な教えと呼んだのだろうと思うのです。
さらに、健全な教えを持った者として、それにふさわしいことを行動をもって牧会しなさいというのがこの2章であると思います。 パウロは主イエスの聖霊が自分の中に内住すると、当然、その人の行動に影響が出て、主に近くなることを経験しています。それが、牧会する時に現されるようになると具体的な例をあげて、テトスに伝えている内容は、2千年たった今の教会にも通用するアドバイスであります。
牧会する自分自身が、人を中傷せず、大酒飲みにならず、みことばを教える者であれば、年配の女性を大切にし、若い夫婦には、家庭での平安を築き上げるように、まだ信仰の浅い者には、あなた自身が模範者となって示せというのです。それは聖書の健全な教え、十字架での主イエスの贖いのわざを理解して、さらなる主イエス・キリストの栄光ある再臨を待ち望む、待望教としてのキリスト教が、心から理解することによって、全てが明らかになり、神の栄光を示すことになると愛弟子に助言しているのです。
パウロから教えを受けた、このテトスもテモテも、かなり若い牧者であったに違いありません。そして教会に集まってくる人たちは、私たちの教会もそうですが、長い厳しい人生を経験し、家庭を築き上げ、若い彼らに比べて、人生の苦難をなめつくした人たちが、大勢いたのに違いありません。どうしても、若い牧師に対して、「この若造に何が分かるか」と密かに感じてしまう、そのような教会の雰囲気を感じでしまいます。そのような若きテトスに、だれにも軽んじられてはいけません、あなたは主イエスのみことばを与えられた権威ある者として語りなさいと言うのです。
思うに、主イエスは信じる者に向かって、あなたがたも自分の十字架を負いなさいと話されました。今まで、自分は、それは殉教したりすることなのかなぁ、ちょっと自分には無理と考えていたのですが、最近になって気づいたのは、主イエスが十字架で苦しだ理由のひとつには、世に救いを信じる者が少ないことではなかったか、そうであれば、私たちが伝道する時にも、いかに福音を伝えても、信じる者は非常に少ないという事ですから、伝道することも、実は十字架を負うことにつながっているのではないかと、改めて理解しました。
祈り
主イエスが内住する者として、自分の力ではなく、聖霊による導きが祈りと誠をもって、行いに出てきますように、導き下さい。どうしても自分の考えが先に出て行動してしまう私を生まれ変える者となりますように。 アーメン
文:森 宗孝

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