top of page

2026年2月10日 イザヤ書62章

  • hccnichigo
  • 2月10日
  • 読了時間: 2分

『主に贖われた者』


 エルサレムは、いわば地球のおへそにあたるのかもしれない。地理学的にも、アフリカ大陸棚とヨーロッパ大陸棚そしてアジア大陸棚がぶつかりあってできた地形にある。ですから、ガリラヤ湖から流れ出たヨルダン川がたどり着くのは、どこにも流れ出ることができない死海となって大陸棚のおへそに流れ着くように思えるのです。この地区に立つエルサレムを、父なる神は愛されて、シオンと幼名で呼び、やがてエルサレムの義をすべての王が見るようになるとこの62章で語っています。


 これは、主の再臨の時のエルサレムでありましょう、主の喜びがあなたにあり、あなたの神はあなた(エルサレム)を喜ぶとあるのです。そして、6節では「エルサレムよ、わたしはあなたの城壁の上に見張り番を置いた。」とあるのですが、この見張り番とは、誰のことなのかと思案しました。そして、調べるとエレミア書の1章12節に「すると主は私に言われた。「あなたの見たとおりだ。わたしは、わたしのことばを実現しようと見張っている。」とのみことばがあったので、見張り番とは主なる神のことかもしれません。しかし、この6節の続きには、「彼らは」と複数形になり、「主に求める者たちよ」とも続くので、主なる神自身ではなく、イザヤが何度も繰り返して伝えようとしている、主を求め続ける「残りの者=レムナント」のことが見張り番という意味ではないかと気づきました。


 父なる神は、御腕である主イエスを送り込まれ、そして十字架の後には、ひとにぎりの主イエスを信じ続ける、残れる者を見張り番として残されています。彼らがやがて神の愛されるエルサレムを堅く立ち上げることになります。そうしてエルサレムの民は、主に贖われた者と呼ばれ、神の都となってゆくのです。


 エルサレムは「エル=神」が「シャローム=祝福、恵み、慰め」の町、神が祝福された、モリヤの山であります。そして、私たちも主イエスを信じることによって、神の子となり、残れる者、神に愛されるユダヤの民の兄弟となったのです。


祈り

私たち夫婦は、幸いにも、このエル・シャローム、エルサレムを訪ねることができました。聖地を訪ねることで、いっそう聖書の中の話がリアルに、自分の頭の中で画像として浮かび上がってくることに感謝しております。 私たちも主によって、残れる者の中に入っていることにも感謝致します。アーメン

文: 森 宗孝


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年7月26日 ヨハネの黙示録7章

すると、長老の一人が私に話しかけて、「この白い衣を身にまとった人たちはだれですか。どこから来たのですか」と言った。13節  そこで私が「私の主よ、あなたこそご存じです。」と言うと、長老は私に言った。 「この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです。」14節  白い衣とはキリストの血による罪の赦しである、と同時に罪のきよめです。その箇所を読んでいたときに、イザヤ書

 
 
 
2026年7月24日 黙示録5章

「また、私は、御座に座っておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。」(5:1)   「しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開いて封印を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。」(5:3)  まず御座に座っておられる方(神)の右の手にある七つの封印で封じられた巻き物について考えてみましょう

 
 
 
2026年7月23日 ヨハネの黙示録4章

『天の開かれた門を見せられるヨハネ』  とても希望の持てる4章です。天には讃美が満ちて、四つの生き物(獅子、雄牛、人間、鷲)は夜も昼も休みなく聖なる神を讃美し続けていました。それだけでなく、二十四人の長老たちも神を讃美していました。  二十四人の長老たちとは、彼らの生涯を忠実に生きたために神から冠を与えられていた方々だと思われていました。しかし、彼らは自分たちの冠を御座の前に投げ出して言いました。

 
 
 

コメント


bottom of page