top of page

2026年1月7日 イザヤ書28章

hccnichigo
1月7日
読了時間: 2分

「それゆえ、神である主はこう言われる。『見よ、わたしはシオンに、一つの石を礎として据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊い要石。これに信頼する者は慌てふためくことはない。」(16)


 この箇所は、メシヤ預言と呼ばれるものです。ローマ9:33、Ⅰペテロ2:6に引用されています。

「われわれは死と契約を結び、よみと同盟を結んでいる。」(15) イスラエルの民は、危機的な状況にあって大国であるエジプトなど、神以外のものに拠り頼んでいくのです。それは一見、政治的、戦略的に有効だと判断されたのでしょう。しかし、実際には死とよみに結びつく、間違った判断であることが叱責されています。


 そして、冒頭の御言葉にある「石」とは、イエス・キリストのことです。この石は「つまずきの石、妨げの岩」(ローマ9:33)と言われています。

 律法による救いを求めていたユダヤ人たちは、イエスの説く恵みによる救いを受け入れることができませんでした。イエスの教えは、彼らにとってつまずきの石となったのです。


 イエスにつまずく者は幸いです。自分たちの思考、判断、選択が、イエスの御心と違うとき、私たちの計画、願望がその通りにならないとき、私たちはつまづきます。しかし、つまづくことによって、私たちは正しい神の道を知り、自分ではなく神に信頼することを学ぶからです。

 


  天の父なる神さま

 ときに、私たちはつまずくことがあります。でもイエスさまにつまづくなら幸いです。その時にこそ、真の正しい道を見い出し、イエスさまに信頼することを学ぶからです。

 私たちがイエスさまにつまずいたとき、どうか聖霊が私たちを励まし、イエスに信頼することを教えてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン                                           文:関真士


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年10月23日 ゼパニア書2章

『神の義のさばきと普遍の愛』 「恥知らずの国民よ。こぞって集まれ、集まれ。」(2:1)  ゼパニア書第二章の最初の3節は、イスラエルの民に悔い改めを勧めているゼパニアを通しての神のことばです。イスラエルの民は神に選ばれた民でありながら、彼らはまるで異邦人のように、自らの罪深い生活を恥じようとはしなかったので、主の祝福を受けるに値しない民、ゼパニアが呼ぶように「恥知らずの国民」になってしまいました。

 
 
 
2026年10月22日 ゼパニヤ書1章

小預言書の後半部です。ゼパニヤ書は、主の日、主のさばきが記されています。ゼパニヤはヒゼキヤ王の子孫で、宗教改革を進めたヨシヤ王の時代の預言者でした。ナホムと同じ時代に、彼は南王国の偶像崇拝の罪を指摘しました。  主は地の面のすべてのものを断ち切ると言われています。特に、南王国ユダの主を求めない人々には厳しいさばきが下ります。その人々とは、偶像の祭司たち、天の万象を拝む者たち、ミルコム(異教の習慣)

 
 
 
2026月10月21日 ハバクク書3章

「しかし、私は主にあって喜び踊り、わが救いの神にあって楽しもう。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。」(18-19)  神は、イスラエルを裁くために、異邦人であるバビロン帝国を用いられました。自分より正しい者が悪い自分を裁くのは分かります。しかし自分よりも悪い者が、自分を裁くために用いられるのは納得がいきません。  しかし神は、時にそのような事をなさいます。そこまで

 
 
 

コメント


bottom of page