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2026年3月2日 ヘブル人への手紙12章

hccnichigo
3月2日
読了時間: 3分

『イエスから目を離すな』


 仏教とキリスト教の違いを思い起こしました。仏教の愛は、慈愛、優しさに溢れた仏様の愛、それは母の愛ではないでしょうか。しかし、この12章にあるのは、キリストの愛、6節に「主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」これは父の愛、この厳しい世を生き残れるように訓練する父の愛でしょう。主イエスは、どちらも兼ね備えておられました。子羊を抱き寄せる母の愛と同時に、苦難を見守る父の愛も兼ね備えておられたのではないでしょうか。


 11節「すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。」なるほど確かにそうでありましょう。自分がまだ子供の頃に、母の愛と父の愛を比べた寓話を聞いたことを思い出します。幼い子がよちよち歩きしていて、転んでしまい膝を擦りむいてしまいます。お母さんは、すぐに抱き起こしてくれて、あやしてくれますが、お父さんは、男の子なんだから、がまんして一人で立ち上がってみなさいと言うのです。私たちには、確かに優しい慈愛も要るし、訓練される厳しい愛も、両方必要としているのではないでしょうか。 


 ところが、そうは言っても、実は自分は、幼い時に両親が別れて、母親と姉たちに育てられたので、いまでもあなたは甘やかされて育ったと姉たちには言われているのです。 自分の娘が産まれてきた時に、妻に実は、模範となる父親がいなかったので、良いお父さんとなる自信がないと話したことを思い出します。でも、結果として長女も次女も、良いお婿さんを選び、立派なお母さんとなり自立している姿をみると、決して、厳しい愛を与えたとは思いませんが、愛することにおいて自己批判すると、けっして悪い父親ではなかったのだろうと安心するのです。


 さて、12章の後半では、主の再臨の姿を想像することばが続きます。 私たちのために十字架にかかられた御子イエスは、恐れ多い神の御子で、旧約時代には、見上げることでもしようなら打ち殺されてしまう神である、その御子であるイエスが、血を流されて、贖いをされて新しい契約の仲介者となられた、その方をもしも、拒むようなことがあれば、天も地も揺り動かす神の怒りを受けるのですよ。29節「私たちの神は焼き尽くす火なのです。」確かに、父なる神は、一度ノアの洪水のあとに、もう二度と洪水によって、地を滅ぼすことはしないと、虹をもって誓われましたが、主の日には、救われる者たちと同時に、背いた者たちはすべて、焼き尽くされることもここで、預言されているのです。


祈り

主の御子が流された十字架の血潮で救われ、神と和解したことを信じきれない者は、主イエスを信じない者として、焼き尽くされる火の裁きにあうのです。どうか一人でも多くのひとを救いに導くことができますように、私たちに力をお与えください。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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