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2026年1月6日 イザヤ書27章

  • hccnichigo
  • 1月6日
  • 読了時間: 3分

『蛇レビヤタン』


 黙示録の20章2〜3節「彼は、竜、すなわち、悪魔でありサタンである古い蛇を捕らえて、これを千年の間縛り、千年が終わるまで、これ以上諸国の民を惑わすことのよいように、底知れぬ所に投げ込んで鍵をかけ、その上に封印をした。その後、竜はしばらくの間、解き放たれることになる。」この表現は、このイザヤ書27章1節にあります、逃げ惑う蛇レビヤタンのことを示しているのです。


 自分はヘビ年生まれですが、創世記3章1節に「蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。」とありますように、その時の蛇は、今の蛇のような姿ではなかったのかもしれません。 なぜなら14節に「主は蛇に言われた。どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。」とありますから、それまで蛇は腹這いでは無かったのではないかと思われます。


 蛇の話から、色々と思いめぐらしています、このように、蛇は嫌われる存在であっただけではなく、聖書には、逆説的な話でも描かれています。民数記21章8節「すると主はモーセに言われた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上に付けよ。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば生きる。」これは、十字架のい主イエスを思い起こさせるイメージで、蛇が使われているのです。そして、マタイ10章16節に、主イエスのことば「いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。」同じ蛇でも、主の手によれば、良いものとして変えられることが描かれているのでしょうか。出エジプト7章12節「彼ら(ファラオに仕える呪術者、呪法師)がそれぞれ自分の杖を投げると、それは蛇になった。しかし、アロンの杖は彼らの杖を呑み込んだ。


 蛇レビヤタンは、蛇の中でも最悪の蛇であったのでしょう、しかし、サタンの原型として脱落した天使であったと理解されているのです。 イザヤ14章12~15節抜粋「明けの明星、暁の子よ。どうしておまえは天から落ちたのか。おまえは心の中で言った。私は天に昇って、いと高き方のようになろう。」だが、おまえはよみに落とされ、穴の底に落とされる。


 その日、イスラエルの子は一人ひとり拾い上げられて、エルサレムのせなく山で主を礼拝する。これが蛇レビヤタンを倒されて、イスラエルを再建される主の約束、預言がこの27章に語られているのでしょう。


祈り

私たちが、いつでも主の手によって守られていることに感謝致します。どうか私たちも、主が愛されるイスラエルと民と兄弟となり、一緒にエルサレムの聖なる山で礼拝を捧げる者となりますように。アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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