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2026年1月13日 イザヤ書34章

  • hccnichigo
  • 1月13日
  • 読了時間: 2分

『ハルマゲドン 主の復讐の日』


 この34章は、直接的にはユダヤの民と対立するエドムの民(イサクの息子で、ヤコブの兄弟、長男のエサウの子孫がエドム 創世36章)への裁きですが、同時にやがて再臨のあとに下される、主の復讐の日も描かれていると思います。エドムが裁かれる理由は、兄弟国であるにもかかわらず、イスラエルが苦境にある時に、助けるどころか、略奪したりするのです。実際にバビロン捕囚、紀元前587年に、敵に加担し、逃げ惑うイスラエルの民を引き渡したりするのですが、そのような200年後のエドムの姿を、イザヤは見ていたのでしょう。ですから、エドムはやがて裁かれると預言しているのです。


 それだけではなく、2節にあります「主がすべての国に向かって激しく怒り、そのすべての軍勢に向かって憤り、彼らを聖絶し、虐殺されるにまかされたからだ。」とありますのは、黙示録20章にあります千年王国の終わりにサタンが解き放され、諸国の民(主イエスに反逆する不信者たち)を率いて、エルサレムに向かって陣営をひく、彼らの数は海の砂のようであった。とあります、そのすべての国に、天から火がくだって来て、彼らを焼き尽くしたという、ハルマゲドンの戦いを予表している預言でもあるのでしょう。(黙示録16章16節参照)主イエスが王として君臨する千年王国でも、なおかつ主に反逆する者たちが多くでてくる、これは私たちの罪がいかに深いかを表しているのでしょう。そして、主によって聖なる民とされているユダヤ民族に対する嫉妬もあるのかもしれません。歴史の中でも、常にユダヤ民族への迫害がありました。この千年王国でも、きっとサタンにそそのかされて、エドムのように、エルサレムに向かって、反乱軍が集められることになるのでしょう。


 ハルマゲドンという意味は、メギドの丘ということで、メギドの町はエズレル平原にあって、カルメル山から一望できる平原でした。山の多いイスラエルの中で、唯一たくさんの軍隊が集合できる平原です。私たちはイスラエル旅行の時に、カルメル山から、この平原を見ながら、やがて起こるであろうハルマゲドンの戦いを想像したのです。主の復讐の火には、地には血が染み込む、大虐殺の日と描かれています。

しかし、神の審判はあるものの、祝福の都であるシオンは守られることも確かであるます。


祈り

 いつ、どのように主の怒りが下されるのか、父なる神のみがご存知でありますが、どうか怒りの炎から信じる者たち、主イエスを愛する者たちが救われますように。アーメン

文: 森 宗孝


 
 
 

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