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2026年11月7日 ゼカリヤ書12章

hccnichigo
3 時間前
読了時間: 2分

 ゼカリヤ書12章を読んでいて、正直、難しいと思いました。

 その中で、10節の言葉が心に残りました。


「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。」(10)


「自分たちが突き刺した者」という言葉を読むと、どうしても十字架のイエスさまを思います。新約聖書でも、この箇所がイエスさまの十字架と結びつけられています。


 イエスさまが十字架にかかられた場面を思い浮かべると、涙が出てきます。その涙は、ただ悲しいだけではありません。私の罪のために、イエスさまがそこまで苦しんでくださったことへの悲しみがあります。そして、私はこんなにも愛されていたんだと思うと、神さまの深い愛に胸がいっぱいになります。


 自分の罪を思えば、申し訳ない気持ちになりますが、その罪を抱えた私を、それでも愛してくださったイエスさまを思うと、ありがたくて、また涙が出てきます。悲しみも、悔いも、感謝も、神さまの愛への感動も、全部が入り混じった涙なのだと思います。


 そして10節には、「恵みと嘆願の霊を注ぐ」とあります。私はここにも、神さまの優しさを感じます。自分の力で「悔い改めなければ」と頑張るのではなく、まず神さまが恵みを注いでくださる。その恵みに触れたとき、私たちは自分の罪にも気づかされ、心から主を求めるようになるのではないでしょうか。


 だから、今日も自分の罪だけを見つめて終わるのではなく、その罪のために十字架にかかってくださったイエスさまを見上げたいと思います。


愛する天のお父さま

 自分の罪を見ると苦しくなります。けれど、その罪を見つめたまま終わるのではなく、その罪のために十字架にかかってくださったイエスさまを見たいと思います。私の罪よりも、はるかに大きな神さまの愛があることを忘れずに、今日もイエスさまを見上げて歩んでいけますように。

 イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン





 
 
 

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