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2026年11月6日 ゼカリヤ書11章

hccnichigo
1 日前
読了時間: 4分

「レバノンよ、おまえの門を開け。火がおまえの杉の木を焼き尽くす。もみの木よ、泣き叫べ。杉の木は倒れ、見事な木々が荒らされたから。バシャンの樫の木よ、泣き叫べ。深い森が倒れたから。牧者たちの嘆きの声がする。彼らの見事な木々が荒らされたから。若い獅子の吼える声がする。ヨルダンの茂みが荒らされたから。私の神、主はこう言われた。「屠られる羊の群れを飼え。これを買った者は、これを屠っても責めを覚えることはなく、これを売る者も、『主がほめたたえられるように。私は豊かになった』と言う。その牧者たちは羊をあわれまない。それは、わたしがもはや、この地の住民にあわれみをかけないからだ。ー主のことばー。見よ、わたしは、人をそれぞれ隣人の手に、また王の手に渡す。彼らはこの地を打ち砕くが、わたしは彼らの手からこれを救い出さない。」 私は羊の商人たちのために、屠られた羊の群れを飼った。私は二本の杖を取り、一本を「慈愛」と名づけ、もう一本を「結合」と名づけた。こうして私は群れを飼った。私は一月のうちに三人の牧者を退けた。私の心は彼らに我慢できなくなり、彼らの心も私を嫌った。私は言った。「私はもう、おまえたちを飼わない。死ぬ者は死ね。滅びゆく者は滅びよ。残りの者は、互いに相手の肉を食べるがよい。」 私は、自分の杖、「慈愛」の杖を取って折った。私が諸国の民すべてと結んだ、私の契約を破棄するためであった。その日、それは破棄された。そのとき、私を見守っていた羊の商人たちは、それが主のことばであったことを知った。私は彼らに言った。「あなたがたの目にかなうなら、私に賃金を払え。もしそうでないなら、やめよ。」 すると彼らは、私の賃金として銀三十シェケルを量った。主は私に言われた。「それを陶器師に投げ与えよ。わたしが彼らに値積もりされた、尊い値を。」 そこで私は銀三十を取り、それを主の宮の陶器師に投げ与えた。そして私は、「結合」というもう一つの杖を折った。ユダとイスラエルの間の兄弟関係を破棄するためであった。主は私に言われた。「もう一度、愚かな牧者の道具を取れ。見よ。それは、わたしが一人の牧者をこの地に起こすからだ。彼は迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さず、傷ついたものを癒やさず、衰え果てたものに食べ物を与えない。かえって肥えた獣の肉を食らい、そのひづめを裂く。わざわいだ。羊の群れを見捨てる、能無しの牧者。剣がその腕と右の目を打ち、その腕はすっかり萎えて、右の目の視力は衰える。」


 ゼカリヤとキリスト・イエスの姿が重なります。前の章でゼカリヤは、平和を約束するために遣わされましたが、今章ではさばきを宣言するために遣わされています。それはちょうど、キリストの初臨と再臨のようです。また、ゼカリヤに報酬として与えられた銀三十シェケルは、イスカリオテのユダがイエスを引き渡した際にもらった代金と同じです。このことからゼカリヤ10章は、キリスト・イエスが最初に地上に来られる時の様子を預言していると言われています。


 冒頭に出て来る様々な種類の木々は、人々を表しているそうです。「杉」と「バシャンの樫の木」は偽りの羊飼いたちを、また「もみの木」とはお金持ち、「深い森」は一般大衆の群れを表しているそうです。それらは、イスラエルの民に降りかかる滅亡に関する預言であり、キリストは屠られる羊の群れの世話をするよう命じられます。しかし、その群れが背き続けるのを見て、それを放棄し、「慈愛」という名の杖を折ります。さらに、ご自身に対してなされた侮辱と軽蔑に憤られたキリストは、もう一本の「結合」という名の杖も折ります。そして最終的に神は、彼らを愚かな一人の牧者の手に委ねるという預言です。


 主イエスは、「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。」(ヨハネ10:27抜粋)と言われました。まことの羊飼いの声に従い、私たちはそのお方について行くのです。この世の声ではなく、主の御声に従うこと、私を知ってくださっている主について、もっと知ることが出来るよう、更に聖書を学んでいきたいと思いました。


祈り:愛する天のお父さま。あなたの声だけを頼りに、生きて行く者になりたいと願います。ただあなたを信じて従う者へと成長させていただけますよう、お導きください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 文:アイゾン直子

King Cmments聖書解釈参考資料


 
 
 

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