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2026年11月4日 ゼカリヤ書9章

hccnichigo
12 分前
読了時間: 2分

「娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で、ろばに乗って。雌ろばの子である、ろばに乗って。わたしは、戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶えさせる。戦いの弓も絶たれる。彼は諸国の民に、平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。」(9,10節)


 この預言は、まさにイエス・キリストにおいて成就した。(マタイ21:5、ヨハネ12:15)

イエスがエルサレムに入城されたとき、預言の通りに子供のろばに乗ってこられたのである。人々は、大歓声をもってイエスを迎えた。しかし彼らの願いは、イエスが剣をもってローマ帝国を滅ぼし、ダビデの王国を再び復興させることだった。

 その民衆の願望に対してイエスは、軍馬ではなく子供のロバに乗って、しかも剣も持たず、鎧兜も着ず、丸腰で入って来られたのである。


 平和は、暴力によっては決してもたらされないことは、歴史が証明している。暴力で勝利して相手を支配することで、一見平和のように見えることがある。「ローマの春」と呼ばれた平和は、まさに表面的な外見だけのことで、実際には、支配されている民族は重税に苦しめられ虐げられいたのである。その犠牲の上に成り立っている偽りの平和である。

 イエスのもたらす平和は、剣ではなく、愛と赦しによってもたらされる真の平和である。それゆえに、イエスは無抵抗のまま捕らえられ十字架についたのだ。この十字架にこそ、愛と赦しがある。

 私たちは、愛と赦しによって支配される「神の国」をこの地に拡げていきたい。愛すること赦すことで、分断と憎しみに対して勝利するのだ。この争いの連鎖を断ち切るために、私たちは聖霊の力を得て、世の光、地の塩として、平和を造り出す使命を果たすために励んでいきたい。


天の父なる神さま

 どうか、分断され、争いと憎しみが支配しようとしているこの世にあって、私たちが光となり、塩となり、平和を造り出すことができますように。どうか聖霊の力を与えてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。  アーメン

文:関真士


 
 
 

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