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2026年11月2日 ゼカリヤ書7章

hccnichigo
1 日前
読了時間: 3分

『主の望む断食』


 自分自身の経験から言うと断食はとても大変な苦行、今までの人生の中でまる1日、24時間食べることがなかったという記憶も無いし、そういえば一日中数時間でも眠らずにいたことも無い。ですから断食について語る資格はないように思います。その点、妻は時々断食を平気で実行していますので大いに異なるのですが、この章に律法としての断食に関する質問があります。そしてこの律法に対する神のみこころは何かという問いであります。


 レビ記の16章や23章に、大贖罪日には「あなたがたは、いかなる仕事をしてはならない、あなたがたは自らを戒め(いましめ)なければならない」とあって、ユダヤ教では、これは食べ物や飲み物を断つことと理解されていて、例えばイザヤ書58章3節には、そのユダヤ教に基づいて「なぜあなたは、わたしたちが断食したのに、ご覧にならず、自らを戒めたのに、認めてくださらないのですか。」と自らの戒めが断食とつながっていることを示しています。ところが主がお答えになっているのです。イザヤ58章6〜7節「わたしの好む断食とはこれではないか。悪の束縛を解き、くびきの縄目をほどき、虐げられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。飢えた者にあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見てこれに着せ、あなたの肉親を顧みることではないか。」これが主の意味する、愛の断食だと言うのです。律法の中で重要なものは、正義と憐れみと誠実であるということであります。


 そういえば、主イエスもたとえ話の中でルカ10章33〜37節に、良きサマリア人の話をして強盗に襲われて、半殺しになった人を助け、宿屋にまで連れて行って介抱する、あわれみ深いサマリア人の話をされていまさすね。まさに神の求める本当の断食とは、弱い者に愛の手を伸ばすことにあるとこのゼカリア7章に示されているのでしょう。


 上野公園にもハワイにも、たくさんのホームレスがおります。ホームレスというレッテルは彼らは嫌っていて、一度、私たちには、粗末なダンボールでできた道端のスペースかもしれないけれど、それが自分のホームなのだ、ですからホームレスと呼ばずに、ハウスレスと呼んでくれと言われましたね。色々な事情がある人たちでが、一番嫌なのは、無視されることだそうです。9~10節「万軍の主はこう言われる。「真実のさばきを行い、誠意とあわれみを互いに示せ。やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者を虐げるな。互いに対して、心の中で悪を企むな。」


祈り

 主は黙示録3章のラオディキア教会に、あなたは自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない。と厳しいみことばです。しかし、現代の我々にも語りかけておられるように思いました。どうか律法の心であります、正義と憐れみと誠実に満たされますように。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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