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2026年10月20日 ハバクク書2章

hccnichigo
11 分前
読了時間: 3分

『正しい人はその信仰によって生きる』


 新約聖書でも、何度がこのハバクク書の2章4節のことば、正しい人はその信仰によって生きる、が引用されていて、恐らくこれがハバクク書の代表聖句だろうと思うのです。そして、この2章では、直接的には、バビロン捕囚を語っているのですが、預言的には、恐らく主の再臨である、千年王国をも、暗に表しているようにも読めるのです。 


3節「この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げ、偽ってはいない。もし遅くなってもそれを待て。必ず来る。遅れることはない。(あるいは、「来るべき方が遅れる子はない」)」

 これはまさに、バビロン捕囚の預言ともとれますし、同時に、主の再臨とも思います。そして、結論としては、私たちに語りかけているのは、必ず来る、神の時を待ちなさいということではないでしょうか。そうして、4節に続いていくのですが、不信仰な者、心がうぬぼれてまっすぐでない者たち、彼らはわざわいを受ける、「しかし、正しい人はその信仰によって生きる」と続くので、不信仰の者はしに、信仰をもっている者は、霊的にも生かされると自分は理解しました。


 そうして続くのは、これから訪れる「わざわい」がどういう災難なのかが列挙されています。わざわいは、自分の利益だけを追い求める者たちが、多くの国々を略奪したので、あらゆる民がおまえを略奪することや、偶像に頼り、何の役にもたたないものを拝んだので、それが無駄であることを主が教えるともあります。そうして、イスラエルの民が偶像礼拝に陥ったり、自分達だけの利益を求めて略奪する姿は、イスラエルだけの姿ではなく、現代の我々の姿とも重なっているように理解しました。これは私たちが、神を離れて、自分達の力にうぬぼれてしまい、心が曲がっている状態を示しています。それに対して、主の定めの時は必ず来る、遅くなっても必ず来るとハバククは預言しながら、人の欲望はとどまることがない暗黒に導いていることの恐ろしさを、わざわいの内容として示しながらも、そうであったとしても、正しい人はその信仰によって生きる、と信仰による救いの道をも示してくださっているのです。


 私たちのこの世にも、わざわいが襲ってくるのです、罪は裁かれます、罪は死をもたらしますが、信仰は、救いの道、生きることにつながっていく、ではそのような状況の中で、私たちに主は何をするように求めておられるのか、もし主の定めの時が遅くなっても、それを待て、主の御前に静まれと、神の時を待つことを教えられているのです。


祈り

 父なる神は、裁きの時を遅らせてくださっていて、一人でも多くの者が、信仰によって生きることができるようにと願っておられるのですね。どうか一人でも多くの人に、私たちが福音を伝えることができますように、導きください。アーメン 

文: 森 宗孝


 
 
 

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