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2026年2月12日 イザヤ書64章

  • hccnichigo
  • 2月12日
  • 読了時間: 2分

『イザヤの主への祈り』


「しかし、今、主よ、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの御手のわざです。」8節


「主よ、どうか激しく怒らないでください。いつまでも、咎を覚えていないでください。どうか今、私たちがみな、あなたの民であることに目を留めてください。」9節


 イザヤは、イスラエルの民は、汚れた者、その義はみな不潔な衣のように枯れ、咎は風のように私たちを吹き上げ、救いを求めてあなたの御名を呼ぶ者もいない。とイスラエルの民の絶望的と言えるほどの罪深い姿をありのまま認め、それを自分のこととして主の前に告白しています。


 イザヤの生きた時代には、まだ神殿は破壊されてはいませんでした。しかし、罪深いイスラエルの国がいつかそのようになることは、イザヤの目には明らかだったと言われていたそうです。そのようなことがわかっていてもイザヤは必死になって主に救いを求めたのです。イザヤの主への祈りに心が強く動かされる思いです。


 他者のために祈ること、これこそ主が喜ばれることであり、また、私たちクリスチャンにとっての信仰の要であることは、私たちはよく知っています。しかしそれを実行に移していくことは難しいです。それでも、他者のために何かをしていくことは覚悟はいるけれども、忘れていけないことは、常に主により頼んでいけるようになることだと思います。人ではないのです、頼れるのはただ主のみだけです。なぜなら私たちを造ってくださったのは陶器師である主だから、私たちを造ってくださった主は、私たちの心をすべて知っているからです。


 愛する天の父なる神様。今日の御言葉を心から感謝します。イザヤのように私たちも祖国日本のために、救いのために祈っていくことができますように、また、日本だけでなく他国のことも自分のことのように祈ることができますように導いて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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