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2025年9月2日 詩篇第120篇

  • hccnichigo
  • 2025年9月2日
  • 読了時間: 2分

『都上りの歌』


 長い長い119篇が終わり、これから15回の都上りの歌に入ります。イスラエルの民の信仰の中心となるエルサレムに上ってゆく歌で、きっとバビロン捕囚から戻って来た民の様子が描かれているのでしょう。苦しみの捕囚の中で、主を呼び求めると、エルサレムに戻るように主が答えて下さったと言うのです。


 果たして、私たちの信仰の中心は、どこにあるのでしょうか。教会ですか、自分の故郷ですか、十字架ですか。 この詩人同様に、私たちも罪を犯し、道を間違えて、偽りの道を進んでしまいますが、どうかそこから主が救いだして、信仰の中心地であるエルサレムに導いてくださいと願っています。


 4節に「えにしだの炭火」とありますが、この「えにしだ」とは大きな木ではありませんが、これを炭にすると、ほかのどのような木よりも、火力が強いのだそうです。日本の備長炭を思い浮かべました。 そして、この場面では、このように鋭い矢と共に強い火攻めのようにされて苦しんだと言っているのです。続く5節には、あまり馴染みのない名ですが、メシェクに寄留し、ケダルの天幕に身を寄せる、とあります、このメシェクはユダヤの神を信じない異邦人の町で、一番北にある町です。そのような異邦人の所に寄留させられていた、そしてケダルとは、アラビアの砂漠ですから、そのような荒野の民に身を寄せたと、故郷に戻ることができなかったことを表しています。


 このように、異国の地で、主を信じていない異邦人との暮らしのなかで、平和を求めたのです。自分たちは平和も求めているのに、神を知らない異邦人たちは、戦いを求めていると締めくくっています。 これがなぜ都上りの歌なのかと疑問に思ってしまいますが、いかにユダヤの民が、故郷のエルサレムに戻ることを願っていたかという、証しをしながら、エルサレムに向かって行ったのかもしれません。


祈り

現代の私たちも、主なる神を畏れない、信じることができない多くの人たちの中に、寄留しています。特に日本に戻ると、物質的には豊か、食事には心がこもっているのに、自分たちの魂は乾いている、そのようなアンバランスの中で、多くの者が、魂の扉をあけて、主を知るように祈りましょう。アーメン

文: 森 宗孝


 
 
 

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