top of page

2025年12月30日 イザヤ書20章

  • hccnichigo
  • 2025年12月30日
  • 読了時間: 2分

『アッシリア帝国』


 ハワイで暮らしていますと、日本での師走の雰囲気は全く感じられませんね。でも今年はNHKを自宅のTVで見れるので、紅白歌合戦などをしばらくぶりに見ようとしていますが、みなさんは、2025年を振り返って、いかがでしたか? 来年の抱負は、どのような希望がありますか? 


 さて、この20章の背景は、恐らく紀元前711年頃 ユダ王国のヒゼキア時代に、パレスチナのペリシテ都市アシュドドが反乱し、アッシリア軍に包囲されて、陥落した時のことが描かれています。そしてイザヤは、やがてエジプトとクシュ(エチオピア)も捕囚となって裸足で捉えられるようになると預言しているわけです。そして、同時に、ユダ王国に対しても、エジプトと同盟を組んでアッシリアに対抗しようとしても、エジプトとの同盟はなんの役にも立たないと預言しているわけです。


 イスラエルという国は、いつもエジプトという王国と、中東の大国 アッシリアであったり、バビロンであったりする2大勢力に挟まれていて、常に外交で揺れ動かされていて、今もその構造は変わっていません。特にこの時代のアッシリアは、軍事大国で属国化した民は、悲惨な目にあっていたのです。このアッシリアに対抗するために、エジプトに助けを求めても、それは破壊を招くだけだと、イザヤ20章でも30~31章でも、警告しながら、頼るべき相手は、あなたがたの神だけだと宣言しているのです。


 ここから、日本のこと、台湾のことなど思いました、中国やロシアという大国と、アメリカ合衆国や同盟国との間に挟まれた小さな国、韓国も私たち以上に、北朝鮮からの脅威を身をもって感じているのかもしれません。北朝鮮がいくらロシアや中国をあてにしても、彼らにとっては、まず自国の利益が優先するように、日本にとっても同盟国の援助を期待しても、彼らもまた自国の利益を優先して動くわけで、イスラエル同様、私たち日本も、頼るべき相手は、世界を創造され、私たちを愛していてくださる主であることを心から信じることができまあすように。2026年がどのような年となりますやら、どうも嬉しさに満ち溢れる希望の年となるような気がしませんが、たとえ苦難の道を歩むことがあっても、主イエスを頼ることができまることが、私たちの希望であります。


祈り

どうか私たちの家族が健康に守られて、主イエスを一緒に賛美する機会が多く与えられますように、そして神の家族としての友人たち、天草の友人たちも、ハワイの友人たちも、皆が声を合わせて、主を崇めることができる一年となりますように、主イエスの名においてお祈り致します。アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年2月14日 イザヤ書66章

日本での生活が始まってから、今もどこか落ち着かない気持ちでいます。教会はまだ見つからず、思っていたように日曜日にオンライン礼拝をすることもできておらず、日曜日も平日と変わらないように過ぎていることがあります。祈れない日も聖書を開けない日もあります。 そんな自分を見て、「私は信仰から遠ざかっているのではないか」と感じてしまいます。  それでも、不思議なことに、そんな日々の中で、こうしてディボーション

 
 
 
2026年2月13日 イザヤ書65章

この章は大きく3つの焦点に分かれる。 1. 偶像礼拝など神に対する背きと責め 2. 神に従う者への救い 3. 新天新地の希望  ここで心に留まったのが最後の節である。 「狼と子羊はともに草をはみ、獅子は牛のように藁を食べ、蛇はちりを食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼすこともない。──主は言われる。」25節  捕食関係が消滅して、敵同士が仲間となる様子である。  

 
 
 
2026年2月12日 イザヤ書64章

『イザヤの主への祈り』 「しかし、今、主よ、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの御手のわざです。」8節 「主よ、どうか激しく怒らないでください。いつまでも、咎を覚えていないでください。どうか今、私たちがみな、あなたの民であることに目を留めてください。」9節  イザヤは、イスラエルの民は、汚れた者、その義はみな不潔な衣のように枯れ、咎は風のように

 
 
 

コメント


bottom of page