2025年12月29日 イザヤ書19章
- hccnichigo
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『エジプトへの宣告』
いよいよ、AD(アノ・ドミノ 主の年)2025年が終わり新しい一年を迎えようとしていますが、どのような年になるのか。楽しみでもありますが、同時に不安も混ざった年のように思います。
さて、この19章にある、エジプトの歴史をほどくと、確かにイザヤの時代、紀元前7世紀頃では、書かれている通りに、エジプト内部の権力争いが激しかったので、外国勢力である、クシュ人、アッシリアの介入がありました。そうして、やがて紀元前671年には、アッシリア王エサルハドンやアッシュルバニパルがエジプトを征服したのです。それはイザヤの預言19章4節「わたしはエジプト人を 厳しい(残酷な)主人の手に引き渡す。力ある王が彼らを納める。ー万軍の主、主のことば。」実にアッシリアは、残酷な方法で、征服したことが歴史になっています。
前にイザヤ書13章から23章までは、南ユダ王国の周辺国に対する神の審判が描かれていると書きましたが、面白いことに、イザヤよりも少し前の預言書、アモス(審判の預言者)書にもこの周辺諸国への神の審判が書かれています。イザヤもきっとアモス書を読んでいただろうと想像するわけです。アモスは南王国ユダ出身ですが、北王国イスラエルに行って、悔い改めない場合の審判を預言するのですが、北王国への審判をする前に、一番遠い周辺諸国、まずは北にあるダマスコへの審判から始めて、南のガザ、そして地中海の港町ツロ、死海の南のエドム、アンモン、モアブ、南王国ユダと徐々に時計回りのように、北王国が最後に残されて、北王国も周辺諸国と同様に、裁かれるのですよと預言しているのです。それは、ちょうどこのイザヤ書と似たような諸国に下る裁きから、北王国、南王国への、厳しい神の審判を、理解させるための預言であります。きっと彼の預言を聞いている聴衆にとっては、まずは敵国である、ダマスコや、敵視しているエドム、モアブの審判を聞きながら、手を叩いて喜んでいたことでしょう。しかし、最後には、自分達の審判の話となって来た時には、逆にこの預言者に、怒りをぶつけたのかもしれません。イザヤもアモスも、第一に心がけたのは、主のみことばであって、周りにいる群衆や国王たちの、ご機嫌取りではなかった。そのために、聴衆からの迫害もあったことでしょうが、主のみことばを取り次ぐことが、預言者たちが自分達のいのちをかけて、守ったことでした。
預言者たちが、この時代の周辺諸国への審判をしながらも、イザヤ19章では、もっと、もっと遠い将来、終末の預言もされているようです。16節から24節まで、「その日」ということばで、主の日をかたっているのではないかと思います。 例えば21節「そのようにして主はエジプト人にご自分を示し、その日、エジプト人は主を知る。そしていけにえとささげ物をもって仕え、主立誓願を立ててこれを果たす。」とありますが、これは黙示録の終末時代に起こることで、今の時代では、エジプトがアブラハム、イサク、ヤコブの神である主に、誓願を立てることは起きていないわけです。
祈り
エジプトは、イスラエルとなったヤコブの家族を保護した国でもあり、奴隷とした国でもあります。ユダヤとの関係は深く、常に隣接する大国として存在しています。やがて、主の日に、私たちと同様に、主イエスを信じて慕う国となるのでしょうか。どうかすべての聖書の預言が、成就して、信じる者たちが多く起こされて、主イエスが再臨なさりますように。 アーメン
文:森 宗孝

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